''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

京都伏見の名店「栄泉堂」の「水まんじゅう」と「くずまんじゅう」より。

暑いですね。
夏らしいと言えば、夏らしい季節になりました。
熱中症が、ニュースでも取り上げられています。
いざなってみると大変な病気です。

水分をとっても、塩分も一緒に取らないと、水分だけが体内から出てしまいます。
塩分というのが、キーワードです。
甘みも塩気がないと引き立ちません。

この時期涼やかな和菓子に、舌から涼を得ます。
伏見の名店、御菓子司と言えば「栄泉堂」です。
知る人ぞ、知る隠れた名店です。

伏見本町筋にあり、町のどこにでもある和菓子屋さんです。
しかし、京都にはあまたの和菓子屋さんが引きめいています。
お茶の道に長けた数寄者も多くおいでです。

名だたる名店の中、2008年の姫路の菓子博に京都から参加出来たのは、12店ほどだと聞いています。
名誉なことです。
その一店舗が、このお店です。

能書きは置いておいて、町の普通の和菓子屋さんです。
このお店が私のお気に入りです。
来客があれば、ここのお菓子をお出しします。

格式ばった菓子でなく、季節の和菓子です。
先日も、普段使いのお菓子として、来客のもてなしに買い求めました。
イメージ 1

白く見えるのが「水まんじゅう」(140円)です。
透明な感じがするのが、「くずまんじゅう」(130円)です。
どこが違うかというと、細かいところが違います。

まず、「くずまんじゅう」から食します。
丁寧に炊かれた餡が絶妙です。
粒餡ですが、丁寧につぶされて、皮が残るほどのいい仕事ですね。
微かな塩気を感じます。

和菓子の餡を食するという感じです。
周りのくずも上品な仕上がりになっています。
餡とくずの割合は、9対1と言えます。
くずの加減が、何ともいいですね。

これに比べて、「水まんじゅう」は、餡はこし餡です。
丁寧な仕事が、舌の上でまったりとします。
餡の香りもいいですね。
粒餡に比べると餡を食べるという感じは薄いです。

周りのくずが、「くずまんじゅう」に比べて厚いです。
少しに塩気があります。
くずに付いた塩家と餡に入ってる塩家の両方です。
笹に包まれたところが、何とも上品です。

餡と周りのくずが、何とも瑞々しく感じます。
やはり、水まんじゅうですね。
どちらも「うまい」です。

後味がさっぱりしています。
餡も国内産の小豆ですね。
喉ごしといい、後味といい、香りといい、舌触りといい、餡は和菓子の基本ですね。
基本に忠実でいて、且つ高等な技術を、舌で確認出来ます。

夏らしい逸品です。
これでいて庶民的な値段と来れば、これ以上に褒めようもありません。
時々高級車が、店の前に止まります。

こんな美味しいお店が、町の中にあることが、京都伏見の日常です。
ありがたい感じながら、和菓子を頂く、至福のときです。
もちろん、この時期のお茶は、麦茶です。
餡の甘みと麦茶の香りと甘みが、和のコラボです。

砂糖は、お釈迦様の出身でうる釈迦族の特別な製法です。
当時は、今と違ってサトウキビから取ってはいません。
お釈迦様の誕生日の花祭りに、甘茶をかけるのは、こうした砂糖の製法と関係があります。

砂糖も塩がないと甘みを感じることは出来ません。
仏法世界の方便も、こうした塩と砂糖の関係にも似ていますね。
塩は、砂糖の甘みを引き出す手段です。

塩と砂糖は、真逆ながら、全く別物ではないわけですね。
二つの相乗効果によって、真の甘みを感じることが出来ます。
真の甘み以上の甘みかも知れません。
錯覚した甘みでもあると言えます。

人の生活も、そうした錯覚の中にあるのかもしれません。
この世も、仮の空の世界です。
空という中に、輪廻を繰り返し、過去世、現世、来世を巡っています。

現世で、仏縁が頂けたことはありがたいです。
現世でなく、過去世にも、仏縁を頂いておりました。
その前の過去世にもです。

いい縁を作り、悪い縁を取り除く、雑味の中から、真味を注出させるかのようですね。
いい行いが、いい縁に繋がるとも言えます。
心の三毒を取り除き、穏やかに過ごす。

これがささやかな幸せです。
本来の人が求める平穏です。

暑い最中、穏やかに涼やかな菓子でも食して、心に涼を得ます。
ありがたいと感謝です。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、甘みだけの話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。