夏の残暑も、ほんに山を越え、秋の夜風が肌寒いです。
昼間の気温も数字ほどには感じません。
秋への誘うほどの空気の張りも感じます。
昼間の気温も数字ほどには感じません。
秋への誘うほどの空気の張りも感じます。
夏の疲れが出る頃です。
夏バテ、今では秋バテと言う言葉があるくらいです。
夏の疲れが出やすい時期です。
夏バテ、今では秋バテと言う言葉があるくらいです。
夏の疲れが出やすい時期です。
冷たいものは、あまり頂きません。
冷たいものより温かいものを好みます。
夏場は、冷たいものより常温のものを好みます。
まるで「お酒」のようですね。
冷たいものより温かいものを好みます。
夏場は、冷たいものより常温のものを好みます。
まるで「お酒」のようですね。
二人静という名の花があります。
こちらは、「ふたりしずか」と呼びます。
菓子の名前は、「ににんしずか」と呼ぶようです。
私が最初に食したときは「ふたりしずか」と呼んでいたように気がします。
京の雅を感じるネーミングですが、名古屋の両口屋是清さんの落雁です。
「京のことほぎ」もまだ残っていますので、食べ比べです。
利き落雁、利き菓子です。
両党使いの私には、訳のないことです。
こちらは、「ふたりしずか」と呼びます。
菓子の名前は、「ににんしずか」と呼ぶようです。
私が最初に食したときは「ふたりしずか」と呼んでいたように気がします。
京の雅を感じるネーミングですが、名古屋の両口屋是清さんの落雁です。
「京のことほぎ」もまだ残っていますので、食べ比べです。
利き落雁、利き菓子です。
両党使いの私には、訳のないことです。
両者の見た目は、ほぼ同じです。
キャンディーのようなパッケージも同じです。
口に入れたときの口の解きは、「京のことほぎ」の方が緩やかです。
「二人静」の方が硬いですね。
甘さは、「京のことほぎ」の方が強めです。
甘いと感じる感覚は強いですね。
キャンディーのようなパッケージも同じです。
口に入れたときの口の解きは、「京のことほぎ」の方が緩やかです。
「二人静」の方が硬いですね。
甘さは、「京のことほぎ」の方が強めです。
甘いと感じる感覚は強いですね。
味の残りと香りは、「二人静」の方が、心地上品です。
落雁という和三盆を使っているという感覚では、「京のことほぎ」が強く感じます。
その分、粉っぽく感じることも確かです。
この辺、「二人静」は前に前に出ていません。
落雁という和三盆を使っているという感覚では、「京のことほぎ」が強く感じます。
その分、粉っぽく感じることも確かです。
この辺、「二人静」は前に前に出ていません。
口中で、鳴き別れた二人の愛でしょうかね。
別々なれど、心は一つです。
この世で二度と会うことがなくても、末は一緒の、われても末に逢わんとぞ思うですね。
別々なれど、心は一つです。
この世で二度と会うことがなくても、末は一緒の、われても末に逢わんとぞ思うですね。
憎いぞ、このこの、崇徳院さんのお和歌(うた)ですね。
落語の「崇徳院」の滑稽さが、無性に思い出されます。
それとも「青菜」の鞍馬より九郎判官が出てきましたでしょうかね。
さすがに甘いので、まだまだ、九郎(食ろうた)とは言いません。
落語の「崇徳院」の滑稽さが、無性に思い出されます。
それとも「青菜」の鞍馬より九郎判官が出てきましたでしょうかね。
さすがに甘いので、まだまだ、九郎(食ろうた)とは言いません。
前回は、「二人静」に軍配を上げましたが、食べ比べて見ると、郡司さんの判定のみたいに、イーブンでしょうかね。
甘党や子供さんには、「京のことほぎ」でしょうね。
お茶を嗜まれるなら、「二人静」と言えましょうかね。
甘党や子供さんには、「京のことほぎ」でしょうね。
お茶を嗜まれるなら、「二人静」と言えましょうかね。
見えないけど感じます。
見えないけれど、存在があります。
神や仏の存在です。
見えないけれど、存在があります。
神や仏の存在です。
もちろん存在しています。
私どもは、その体内に住しています。
三世のご縁です。
私どもは、その体内に住しています。
三世のご縁です。
生きているのでなく、生かされているのだと強く感じます。
今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。
最後まで、甘い甘い一人静かな話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。