''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

楠木正成公と言えば、やはり腰にあるのは、名刀「小龍景光」より。

昨日に続いて、湊川神社の宝物館よりです。
この宝物館には、5振の刀剣が公開されています。
しかし、楠木正成公と言えば、やはり腰にあるのは、名刀「小龍景光です。
不思議な刀です。

 

楠木正成公の負け戦以来、その所在が分らなかった刀です。
それを江戸の末になって、見つけます。
それも、大坂(河内)の農家から発見されたとも聞きます。
刀の鑑定家、本阿弥家では、これは偽物と見たようです。
それを、俗に首切り役人(身分は役人でなく、浪人)と言われた山田浅右衛門が、それをどこからか手に入れます。

 

明治天皇は、刀剣類が事の他、お好きであったと聞いています。
この名刀「小龍景光」を見るや否や、お気に入りとなり、お腰の刀となったと聞きます。
大層なお気に入りだったと聞きます。
名前の由来の如く、刀に龍の彫り物があります。

 

太刀であったものを、磨上げて短くして刀にした為、鎺(はばき)辺りから、龍(倶利伽羅龍)が覗いているように見えることから、のぞき龍景光とも呼ばれます。
もちろん、国宝に指定されています。
東京国立博物館所蔵の逸品です。

 

姿(刀)は腰反りの高い、小板目肌と呼ばれる細かい目の詰んだ地鉄が、引き込まれるような美しさが、写真からも想像できます。
刀の中子には、「備前国長船住景光 元亨二年五月 日」と銘が入っています。
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『新・日本名刀100選』(佐藤寒山著 秋田書店)
元亨二年は、西暦1322年です。
凡そ、今から700年近く前の刀です。
保存状態ともいいようですね。

 

景光の父は、あの有名な長光です。
あの大般若長光の作者ですね。
代付けの値が、大般若経の600巻と同じ600貫というところから、付けられた名刀です。

 

子供というと、兼光です。
謙信兼光と呼ばれる上杉謙信の愛刀(大太刀)でも有名です。

 

松竹新喜劇藤山寛美の名作「鼻の六兵衛」でも、白塗りの小島慶四郎扮する殿様から、褒美に頂いたのが、この景光の子、兼光の短刀です。
それを、銘まで当てます。
鼻で銘が分るか?」 との白塗りの殿様の問いに、重さで分ります。
それが落です。

 

兼光と金光かのダジャレです。
竹光というと浪人が最後に武士の魂を金に替え、竹の刀にする訳です。
竹の刀が竹光なら、本物の鋼の刀は、金光ですからね。

 

子供の頃、藤山寛美3600秒(1975年、朝日放送)などよく見ていました。
懐かしい芸の極致でしたね。
泣いたり笑ったりと忙しい喜劇でしたね。
あれが芸ですね。

 

芸も血筋かも知れませんね。
娘の『鼻のお六』も違った意味で楽しめます。
刀鍛冶も、やはり技術も芸と同じです。
素晴らしいですね。

 

河内に居た正成公に、どういう経路で、この名刀が手に入ったものかは不明ですが、ものの本に因りますと、正成公と親交のあった中納言万里小路藤房からの贈り物という一文を見つけました。

 

楠木正成公の愛刀なら、最後まで「湊川の戦い」で持って戦ったように思えます。
これが本物か、どうかは分りません。
夢のある話です。

 

因みに刀の写真の梵字は、カンの重字のカンマン、不動明王さまを一文字で表わしています。
ここにも、ありがたい仏縁に繋がっています。

 

日々の暮らしの中で、イライラ虫もウジヴシ虫も、心の中にすぐに表れます。
心の三毒を廃し、心静に暮らしたいです。
静に手を合わせます。

 

今日も明日も、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、手を合わせます。

 

最後まで、歴史を覗いたような話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申しあけます。