''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

岡崎神社の黒と白のウサギより。

災害の方、実数が分かるに連れて、被害の大きさに驚くばかりです。
一刻も早い物資や救援が、すべてに渡ることを祈ります。

ブログのお友達も、仙台においでです。
気になっています。
どうか、無事でいて欲しいと切に思います。
気分だけでも、楽しい気分にした記事にします。

先日の梅見の続きです。
山科から、地下鉄で蹴上辺りにやって来ました。
山荘、高級別荘地があります。

個人所有と言うより、企業が所有されている超高級別荘です。
別邸と言った方がいいですよね。

明治の元老や旧財閥の所有されていた物が、数人の手を渡っています。
琵琶湖の疎水を庭園に引き込み、思うがまま赴のある庭にしています。
公開されているものもありますが、少ないですね。

岡崎辺りは、特別の景色です。
東山の風景を自分の庭の一部とする借景という技法が、やはり人気のです。
自分の敷地以上に、東山の山麓すべてが、まるで自分の所有地のような感覚が味わえる仕掛けがあります。
私が言えば、「失敬」ですよね。(今日は、ここしか笑うところないですよ。ねぇー、とおるちゃん!!)


植治と言えば、造園業界では、超有名です。
こうして庭師の通年を通した技術の賜物です。
過去の匠と現代の匠の競演ですね。

別邸街を進むこと、インクランところ過ぎると、京都市の動物園に当ります。
すぐに動物園の匂いがするので、分かります。
そのまま、まっすぐ道成に北に上がると、そこが目的地の岡崎神社です。
今年の年賀状、京都版の年賀状は、うさぎ年としてここの岡崎神社の風景が書かれています。

私は、この神社辺りにもよく仕事で来ていたことがあります。
地理感も意外とあるんです。
ですから、岡崎辺りは大好きなところです。
私のような、なんちゃって京都人にとって、岡崎というとちょっとスタータスを感じますね。

出来れば、住所に六勝寺(りくしょうじ)の地名が付けば、何となく格好がいいように感じます。
 法勝寺
 白河天皇勅願寺
 1077年(皇紀1737)承暦元年の創建
 現在の京都市動物園からその北側の辺りです。

 尊勝寺
 堀河天皇勅願寺
 1102年(皇紀1762)康和4年の創建
 法勝寺の西側辺りです。

 最勝寺
 鳥羽天皇勅願寺
 1118年(皇紀1778)元永元年の創建
 法勝寺の東側辺りです。

 円勝寺
 鳥羽天皇の皇后 待賢門院 藤原璋子の勅願寺
 1128年(皇紀1788)大治3年の創建

 成勝寺
 崇徳天皇勅願寺
 1139年(皇紀1799)保延5年の創建

 延勝寺
 近衛天皇勅願寺
 1149年(皇紀1809)久安5年の創建

当時は、一大寺院で塔も建っていたようです。
もともと人が住むところでは無かったですからね。
近くには、聖護院大根で有名な、聖護院の土地も近いです。

とりあえず、この辺りは、寺院の名前が付きますね。
当時は、国立の寺院のテーマパークと言うところでしょうね。
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岡崎神社の創建は、桓武天皇が、延暦十三年(794)の平安京遷都の際、勅願により王城鎮護のため平安京の四方に建立された社の一つで、都の東に鎮座することから東天王と称し方除け・厄除けの神として信仰されている。
清和天皇貞観十一年(869)に改めて社殿を造営し、播州広峰(兵庫県姫路市北方)から御祭神を迎えた。(岡崎神社のホームページより、抜粋)
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大変由緒ある神社ですね。
私の郷里、播州とも縁が深いんですね。
ここには、黒いうざきの像があります。
清めの漱ぎ水の場所にあります。
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本殿の横には、最近の作と思われる狛犬ならぬ、狛うさぎがおいてありましたね。
以外に可愛いです。
目が赤いしね。

神聖な気分で、おみくじを引きました。
ここは安産の神様でもありますので、私にはその辺のご利益はありません。
でも、運気を開くために、出た数は、「29」でした。
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「吉」でしたね。
それによりますと、私は埋もれ木ように世に知られること無く、いろいろ苦労したけれども、おいおい運が開けるというありがたいお告げです。
「いく月日 うれいの雲も 今日晴れて あさ日にかがやく、けさの嬉しさ」
何ともありがたい和歌が添えられていました。

ありがたいですね。
まだ、世に出ないまま埋もれる運命かと、思っていましたからね。
ありがたいです。

難しい漢文が、いろいろと書かれていますが、運気が開けて、財宝も位も思うまま、まさに良い主人に取り立てられると言う意味のようです。

このおみくじの何か「主人公」という言葉を見つけました。
禅語のあの主人公です。
いつも、私が人生の主人公ですね。
世間では脇役でも、私の人生ですから、私の人生では、私が主人公です。
天のカメラでは、いつも主役の主人公です。

どんな時にあろうと、主人公です。
いつも勇気付けられる禅の言葉です。

今東北では、多くの方が災難を受けておられます。
それでも、天のカメラは、主役として、苦しいシーンを捉えています。
春の来ない冬はありません。
どうぞ、もう少し春の来るのを待つような気分で、辛い時間をお過ごし下さい。

これも、天からの試練かも知れません。
亡くなられた方には、大変残念です。
仏の世界に縁のある私としては、それをどう表現すれば、いいのか苦慮します。
言葉の説明なら幾度でも出来ますが、私自身心の整理が付いていません。
いつも、落ち着いたら、その辺も思うところも記します。

み仏の縁は、しっかりとあります。
この世は、仮の「空」です。
魂の落ち着くところに、安堵があり、そう考えることで、安穏も存在すると思います。

とりあえず、耐え忍ぶことが、心の平穏を保つことが必要です。
辛い時には、観音さまの名を一心に唱えることで、心平穏を求めることが出来ます。

日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らすを旨としています。

今日も明日も、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、黒白のうさぎの話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。