''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

東北~薩摩のかるかん物語より。

今日は、朝から雨降る京都伏見の地です。
どうも、いけませんね。
首のセンサー、クビダス(かんとうしょうえの造語)が高く確立を上げています。
されど、明日は仕事の為、病院のマッサージにもいけず、忍耐の時ですね。

雨にも負けず、首にも負けずの精神です。
雨にも負けずと言えば、東北岩手県花巻出身の小説家・詩人宮沢賢治です。
その体表作「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」は、漢字と片カナ交じりの文体です。

没後に偶然発見されて、それをまた偶然、その模様を参加した詩人の永瀬清子氏が後に書き記しているとあります。

2011年4月11日、ワシントンのナショナル大聖堂において、東日本大震災で犠者を悼む為、宗派を超えた追悼式が開かれ、サミュエル・ロイドⅢ世大聖堂長により、復興への祈りが捧げられた後、『雨ニモマケズ』が選ばれて英語で朗読されているとあります。( Wikipedia 参照)
我慢強い東北人には、もっとも適した励ましの詩かも知れません。



詩の中に、一日に「玄米四合」を食すると言うのがあります。
現代人からすると多い気がします。
しかし、米をおかずにして米を食うという時代ですからね。

当時は、主食と少しの副菜と、汁物とそれに漬物です。
それでも、まだから「玄米四合」食べられることは、幸せですからね。
ひもじい事を我慢するのは、辛いです。

食は、人の生きる上で糧です。
どんなに強がっても食べないと人は生きていけません。

そういう意味では、今回の東日本大震災では、被災者への食料の支援が遅かったように思えます。
政府も、まずは温かい食事と暖かい衣類、それに水が最優先のハズでしたね。
それが、後手後手の対応です。

東京電力の最高責任者に至っては、震災から1ヶ月経ってから、福島県の知事に挨拶とは、これ如何にでしょうかね。
腹立ちます。

東北人を卑下しているかの扱いです。
関西人の私も、これにはイライラします。
そうではなく、人を人として扱っていない傲慢な鬼の姿です。

人の命や存在を軽く扱っています。
そう言われても仕方ないですね。
まさしく軽く扱っています。

この『雨ニモマケズ』は、「法華経」の常不軽菩薩(じょうふぎょうぼさつ)の精神を現していると言われていますね。
もちろん、お釈迦様の幾つもある前世のお姿の一つです。

常不軽菩薩様とは、常に人から侮蔑されて軽く見られていたとされるので、そういう意味の名が付いています。
経も読まれません。
ただ、人々に対して、貴方方は尊いと拝まれるのです。

少し変わった菩薩様ですが、その侮蔑した者との因縁もあります。
それが後に経の中で、述べられています。
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かるいと言えば、かるかんです。
言葉のゴロだけですね。
先日、仕事場の人が、九州新幹線を乗るために、九州に旅行です。
その時の土産に頂きました。

皮の部分が、なんとももっちりとしていますよね。
餡ももっちりとしています。
それでいて、薩摩の名産といえば、外せないかもしれません。
でも、その存在感は、全く軽くは無いです。

薩摩藩の紋所が、印されています。
丸に十字です。
世界の中心にあるかのようなイメージです。
東日本大震災、その中心である東北は、今や世界の注目を受けています。
震災直後でも、外国のような略奪や報道も無かった治安の良さが賛辞されています。

その世界の中心で、多くの方が忍得られています。
その注目の中で、仏法の法華経の精神が、宗派を超えて、東関東大震災の追悼と復興の象徴として、この詩を朗読されたことは、すばらしいです。

仏さまの一切衆生を救うという願いに沿いますね。
多くの人が、救われますよう祈るばかりです。

九州も東北もそして関西も同じ日本です。
一つになって、被災地の支援と復興を願うことが、今一番大切だと感じます。
日本だけではありません。
世界も一つになって支援して下さいます。
ありがたいことです。

一日も早い復興と心の傷も癒されんことを、切に祈ります。

ありがたい仏縁を頂けていることは、私にとって最大の幸福です。
その生きている、いや、生かされている意味を、改めて自問自答して確信しています。
ありがたいご縁で繋がってます。
日本も世界も繋がっています。

ありがたいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、お茶も飲まないもっちりした話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。