''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

石碑を鑑賞する。「天長地久 國土安穏」編

久しぶりに朝から、晴れ間を見ることが出来ました。
雨続きで、朝からの日差しは何より嬉しいです。

 

朝から首センター・クビダス(かんとうしょうえの造語)が高確率です。
晴れていても、湿気や気圧いろいろな要因で、ここ数日やはり首が痛みます。
前日との差が大きいと痛みが強くなる気がします。
その為、朝から病院のマッサージに行って来た次第です。

 

その行き来、京都や伏見には、いろんな碑文や石碑があります。
誰が何の為に建立したものか、詳細は不明です。

 

しかし、巨大な石碑もあり、その費用は如何ばかりのことでしょう。
シャレや冗談で出来ることではありません。
先人の思い入れが形になったと言えます。

 

そんな中、伏見の名刹・寶塔寺への参道に大きな石碑があります。
その一つに注目してみました。
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天長地久 國土安穏と書かれています。

 

天長地久の意味は、天地の存在は永遠であること。天地が永久であるように、物事がいつまでも続くことのたとえ。「天(てん)は長(なが)く地(ち)は久(ひさ)し」と訓読するとあります。
天長地久 出典は『老子(ろうし)』七章にあるようです。
(三省堂提供「新明解四字熟語辞典」より)

確か、流鏑馬に 天長地久の儀と言うのがあります。
天に弓を放つ儀式です。
ニュースとかで見たことがあります。

 

今回の東日本大震災でも、鎮魂と復興を念じて、あちこちでこの儀式が執り行われたようですね。
静かに手を合わせたいです。
一日も早い復興を念じます。

 

それにしても、政治の方では、おろかな闘争が行われていることは、恥ずかしいです。
誰を総理にしても同じです。
今、政治の空白を作ることは、万死に値します。

 

震災から、3ヶ月過ぎても、仮設はおろか、板の上で寝起きされている被災者がおいでとは、信じられません。
一日も早く日常生活を送れるようにすることが、政治であり、政府の勤めです。
二次的加害者である東京電力の幹部は、のうのうと我関せずの、贅沢な暮らしを送っています。

 

節電と言う前に、そうした幹部や関係者が、まず節電の模範を示すべきです。
月電気代、5000円にしてみたら、どうですかね。
出来るものならね。

 

関係者の個人宅の電気料金を公開すべきでしょうね。
そもそも東京電力の幹部は、電気代をお支払いしているのでしょうかね。

 

疑問です。
まず、社員割引料金での支払いもあるのではないかと、こちらも疑問です。
民間ですから、それがあってもおかしくはないですからね。

 

その上で、銀行引落なら、公平ですが、こうした幹部の中には、振込み用紙での請求も多いはずです。
不払いでも、会社が幹部に請求することはしにくいですからね。
調査して見るべきです。

 

何十年に亘って滞納しているということもあります。
地方では、市長や市会議員が、固定資産税を滞納している事例は、過去にも多々ありましたからね。

 

まず、公平に電気料金が支払われているか、国も調査すべきです。
政治家にも、電気料金踏み倒している例もないとは言えません。

 

そうした節電の中で、国民にお願いするのが筋です。
暑いからと言って、エアコンを安易に付ける。
こんな愚かな行いが是正されずに、節電はおかしいです。

 

天長地久は、政治家や東京電力の為にある言葉ではありません。
国やそこに生活する国民の為にあるのです。

 

いやいや、今日はお怒りモードです。
天下国家の安泰を念じ、日本國土の安穏を念じようとすると、世の中の矛盾が、沸いて来ます。
今一度、震災被害者の復興を念じます。

 

塔寺は、日蓮宗のお寺です。
日像菩薩さんの荼毘された場所でもあります。
何故、この地で荼毘されたのか不明です。
もともとは、藤原氏縁のお寺でもあります。

 

私事ながら、今年初詣に参ったお寺でもありした。
この事はブログに記事にしています。

 

法華経日蓮宗のお寺なら、お題目の他に、多い石碑の文字は「一天四海皆帰妙法」(いってんしかいかいきみょうほう)ですね。
世の中すべてに、妙法の教えが行き渡っている状態でしょうね。
理想境でもあります。
まさしく、國土安穏でもあるように感じます。

 

しかし、世界には多くの教えがあり、神がおいでです。
あくまでも仏法世界の理想です。

 

私はありがたいことに、仏縁に繋がっています。
特別なことでなく、日常にこそ、幸せがあると信じています。

 

今回の大震災では、被災された方がそう感じられたことでしょうね。
家があっても、家には帰られない。
帰る家があるのに、帰れない。

 

家族で、笑顔で晩御飯を食べる。
こんな日常が、適えられないことになっている方も多いです。
家族を亡くされた方も大勢おいでです。

 

生きているのでなく、生かされています。
残った方は、残った方のすべきことがあるはずです。
一日も早く日常を取り戻せるように祈るしか出来ません。

 

よく「神は乗り越えられる試練しか与えない」といいます。
しかし、乗り越えられない試練もあります。
それも受け止めないといけません。

 

乗り越えられないからと言って、悪いわけでもダメなわけでもありません。
それもありです。
頑張らないということも必要です。
頑張っておられる方に、頑張れというのは、大変コクです。

 

頑張ってない方に、頑張れと言うべきです。
自分に縛りをかけると辛くなります。
日常ですから、嫌なこともあり、楽しいこともある。
辛い中でも、道に咲いた花を見て、天に昇った月を見て、一時癒されることもあります。

 

どんな状況にあっても、小さな「幸せ」を見つめることは出来ます。
どんな状況にあっても、小さな「よかった」を見つけることは可能です。

 

花も咲いています。
月も出ます。

 

日常を取り戻すことは可能です。
一日も早い現実の復興と心の復興を念じます。
民あっての国です。
国が、一日も早い本当の支援を実行すべきことに念じます。

 

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。

 

今日も明日も、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

 

最後まで、石碑だけに硬い話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。