扇風機の風も、幾分か寒く感じます。
点けたり、消したりの繰り返しです。
いろいろと思案することが多いです。
それも生きている証かもしれません。
点けたり、消したりの繰り返しです。
いろいろと思案することが多いです。
それも生きている証かもしれません。
先日、地元伏見の純米酒、「呑ミ足リテ味ヲ知ル」を買い求めて、これを晩酌に頂きました。
松本酒造株式会社のお酒です。
池波正太郎著の鬼平犯科帳の番組に、タイトルバックあたりでしょうかね。
土手つたいに蔵屋敷をバックに、馬に乗る長谷川平蔵とその手下が、高提灯をかざして、暗闇を通り過ぎるシーンがあります。
松本酒造株式会社のお酒です。
池波正太郎著の鬼平犯科帳の番組に、タイトルバックあたりでしょうかね。
土手つたいに蔵屋敷をバックに、馬に乗る長谷川平蔵とその手下が、高提灯をかざして、暗闇を通り過ぎるシーンがあります。
その土地には、春には、黄色い菜の花が咲き乱れます。
黄色い菜の花と酒蔵の対比は、よく写真に掲載されるポイントの一つです。
伏見を代表する風景の一つです。
黄色い菜の花と酒蔵の対比は、よく写真に掲載されるポイントの一つです。
伏見を代表する風景の一つです。
灰汁もないが、癖もないです。
伏見の軟水が、そのまま酒になったと感じれますね。
伏見の軟水が、そのまま酒になったと感じれますね。
その意味では、英勲とか神聖と方が、個性があって私の好みです。
「呑ミ足リテ味ヲ知ル」いい言葉です。
含蓄のある言葉にすら思えます。
同じような考えられたロゴに、枯山水庭園で有名な「竜安寺」にある蹲踞(つくばい)を、思い出します。
こちらは、「吾唯足ルヲ知ル」と読みます。
「呑ミ足リテ味ヲ知ル」いい言葉です。
含蓄のある言葉にすら思えます。
同じような考えられたロゴに、枯山水庭園で有名な「竜安寺」にある蹲踞(つくばい)を、思い出します。
こちらは、「吾唯足ルヲ知ル」と読みます。
こちらも、禅の寺ならではの、含蓄のある言葉に感じます。
足るという言葉と知るは、意味が深いですね。
「自分の分を知る」とも、言えます。
今の生活に、ささやかながら、満ち足りたものを見つける暮らしを送れます。
足るという言葉と知るは、意味が深いですね。
「自分の分を知る」とも、言えます。
今の生活に、ささやかながら、満ち足りたものを見つける暮らしを送れます。
知るとは、この意味も深いです。
何を知るのか、何を知っているのか、知るとは如何なる事なのか、「知」という言葉から、いろんな連想が思いつきます。
個人的にも、縁がある言葉です。
何を知るのか、何を知っているのか、知るとは如何なる事なのか、「知」という言葉から、いろんな連想が思いつきます。
個人的にも、縁がある言葉です。
「知」と聞くと、高校の倫理で習ったソクラテスの「無知の知」を思い出します。
哲学としての「無知の知」でなく、日常の「無知の知」です。
知らないという事は、恥ずべきことでなく、そこから始まる探求の源だと思います。
哲学としての「無知の知」でなく、日常の「無知の知」です。
知らないという事は、恥ずべきことでなく、そこから始まる探求の源だと思います。
すべて、自分が行うことは出来ません。
万能の人間はいません。
知らないことは、聞けばいいし、知らないということを、知ることによって、初めて得るものも多いです。
万能の人間はいません。
知らないことは、聞けばいいし、知らないということを、知ることによって、初めて得るものも多いです。
知ると知らないとは、紙一枚のような存在ながら、それらに隔たりを感じます。
知るとは、逆に言うなら、知らないと認識することですね。
それらによって、両者の隔たりは、一気に縮まり、一致していくような気がします。
知るとは、逆に言うなら、知らないと認識することですね。
それらによって、両者の隔たりは、一気に縮まり、一致していくような気がします。
日々の暮らしの中で、「知る」を探すことは楽しいです。
それは「知らない」を探すことでもあります。
まさしく表裏一体です。
それは「知らない」を探すことでもあります。
まさしく表裏一体です。
これだけ聞くと立派です。
しかし、私はこの方の講演を聞いたことがあります。
大変がっかりしたのを、覚えています。
講演を聞いたけなら、ただのお調子者でしたね。
しかし、私はこの方の講演を聞いたことがあります。
大変がっかりしたのを、覚えています。
講演を聞いたけなら、ただのお調子者でしたね。
ありがたいことです。
仏法の説話を一つでも知り、日々の暮らしに活かしたら、いいでしょうね。
禅の言葉を知り、それを生活に反映できたら、どんなに深い暮らしができるでしょうね。
仏法の説話を一つでも知り、日々の暮らしに活かしたら、いいでしょうね。
禅の言葉を知り、それを生活に反映できたら、どんなに深い暮らしができるでしょうね。
ありがたいことに、私は仏縁を頂いています。
日々の暮らしに「感謝」することを知りました。
ありがたいです。
日々の暮らしに「感謝」することを知りました。
ありがたいです。
心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らすを、願っています。
今日も明日も、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。