''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

純米酒にて、「呑ミ足リテ味ヲ知ル」より。

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昨日の雨から、やはり涼しい気候になりましたね。
朝から涼しいです。
ムシムシはしています。
この気温じゃ、朝からした洗濯物の乾きはよくないですね。

扇風機の風も、幾分か寒く感じます。
点けたり、消したりの繰り返しです。
いろいろと思案することが多いです。
それも生きている証かもしれません。

先日、地元伏見の純米酒、「呑ミ足リテ味ヲ知ル」を買い求めて、これを晩酌に頂きました。
松本酒造株式会社のお酒です。
池波正太郎著の鬼平犯科帳の番組に、タイトルバックあたりでしょうかね。
土手つたいに蔵屋敷をバックに、馬に乗る長谷川平蔵とその手下が、高提灯をかざして、暗闇を通り過ぎるシーンがあります。

このバックの蔵屋敷が、松本酒造の建物です。
その土手、つまり新高瀬川と伏見大手筋の角が、この建物です。

その土地には、春には、黄色い菜の花が咲き乱れます。
黄色い菜の花と酒蔵の対比は、よく写真に掲載されるポイントの一つです。
伏見を代表する風景の一つです。

後は、月桂冠の大倉記念館の酒蔵と伏見の疎水は、ビューポイントですね。
そこを少し疎水沿いに行くと、坂本龍馬で有名な寺田屋です。
今でも、多くの観光客でいっぱいです。

酒蔵の建ち並ぶ、酒蔵メイカーが幾つもあります。
その中にあって、松本酒造のお酒は、癖がないと言えます。
万人受けするお酒です。

灰汁もないが、癖もないです。
伏見の軟水が、そのまま酒になったと感じれますね。

その意味では、英勲とか神聖と方が、個性があって私の好みです。
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「呑ミ足リテ味ヲ知ル」いい言葉です。
含蓄のある言葉にすら思えます。
同じような考えられたロゴに、枯山水庭園で有名な「竜安寺」にある蹲踞(つくばい)を、思い出します。
こちらは、「吾唯足ルヲ知ル」と読みます。

こちらも、禅の寺ならではの、含蓄のある言葉に感じます。
足るという言葉と知るは、意味が深いですね。
「自分の分を知る」とも、言えます。
今の生活に、ささやかながら、満ち足りたものを見つける暮らしを送れます。

知るとは、この意味も深いです。
何を知るのか、何を知っているのか、知るとは如何なる事なのか、「知」という言葉から、いろんな連想が思いつきます。
個人的にも、縁がある言葉です。

「知」と聞くと、高校の倫理で習ったソクラテスの「無知の知」を思い出します。
哲学としての「無知の知」でなく、日常の「無知の知」です。
知らないという事は、恥ずべきことでなく、そこから始まる探求の源だと思います。

すべて、自分が行うことは出来ません。
万能の人間はいません。
知らないことは、聞けばいいし、知らないということを、知ることによって、初めて得るものも多いです。

「知」というのと、「無知」というのは、表裏一体です。
「妙法華経」の「妙」と「法」の如くです。
論語の中にも「知るを知るとなし、知らざるを知らずとなす、これ知るなり」という類似した一文があります。

知ると知らないとは、紙一枚のような存在ながら、それらに隔たりを感じます。
知るとは、逆に言うなら、知らないと認識することですね。
それらによって、両者の隔たりは、一気に縮まり、一致していくような気がします。

日々の暮らしの中で、「知る」を探すことは楽しいです。
それは「知らない」を探すことでもあります。
まさしく表裏一体です。

ソクラテスと聞くと、懐かしい野坂昭如の『サントリーゴールド』思い出されます。
♪ソ、ソ、ソラテスか、プラトンか、ニ、ニ、ニチャか、サルトルか、みんな悩んで大きくなった~

本人出演の懐かしいCMですね。
これで、哲学者の名前を覚えました。
野坂昭如と言えば、アニメ映画『火垂るの墓』の原作者ですよね。
ちょっと複雑です。

それに、作詞家として業績があります。
おもちゃのチャチャチャ」の第5回日本レコード大賞童謡賞の受賞をされています。
意外です。

作家でもあり、放送作家でもあり、歌手、作詞家でもあり、政治家でもありましたね。
時の闇将軍・あの田中角栄氏の選挙地域で、参議院員を辞職して、立候補した人物でもあります。

これだけ聞くと立派です。
しかし、私はこの方の講演を聞いたことがあります。
大変がっかりしたのを、覚えています。
講演を聞いたけなら、ただのお調子者でしたね。

ロッキード事件の最中、田中角栄に一騎立ち向かうホワイトナイトかと思っていましたからね。
あれほど、作品の質と人間の質の違う方も、珍しいです。
ユニークと言えば、それまでです。

それも知るという事があって、初めて分かったストーリーです。
知るという楽しみが、世の中にあります。
日常の中でも、知るを楽しむことが、いっぱいです。

ありがたいことです。
仏法の説話を一つでも知り、日々の暮らしに活かしたら、いいでしょうね。
禅の言葉を知り、それを生活に反映できたら、どんなに深い暮らしができるでしょうね。

ありがたいことに、私は仏縁を頂いています。
日々の暮らしに「感謝」することを知りました。
ありがたいです。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らすを、願っています。

今日も明日も、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。