''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

伏見稲荷の路地にあるラーメン「なか房」より。

京都は、鰻の寝床のような細長いお家が多いです。
もちろん、大きな商家だけでなく、手前の暮らす貧家の長屋もです。
表の通りから、細い路地(ろーじと発音します)に道が繋がっています。

そこを入って家に行きます。
知らないと、人の敷地なのか、路地なのか分からないところも多いです。
そんな路地の入り口に、防犯カメラが付いていることも多いです。

そんな見知らぬ路地の中に、店舗があることがあります。
代表格は、七条のお好み焼き「吉野」ですね。
あれは驚きです。

普通の裏長屋の路地に、突然お好み焼き屋が出現します。
そして、何もなかったかのように、扉を開けるとそこで盛り上がっている人たちです。
酒盛りですね。
仲間や家族とわいわい、楽しげに食事をされています。
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JR稲荷駅前に、最近出来たラーメン屋さんです。
もともと京都の北の方でラーメン屋さんが、移転して来られたみたいです。
しかし、路地にあります。

普通の路地です。
そこがラーメン屋さん専用の入り口です。
以外です。(以外ね。以外ね。懐かしい桜金造さんの持ちネタです)

徐に興味が出て来て、中に入りました。
中はごく普通の家を改装して、ラーメン屋にされた感じです。
テーブル席と奥に座敷席です。
テーブルには、大きな鉢にキムチが入っています。
こちらはサービスです。

私も小皿に取って頂きました。
大根のキムチでしたね。
あっさりして、美味いです。
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ラーメンは、麺カタの並(550円)を注文です。
少しこってりしたスープに見えます。
いつものように、カメラとお箸は待機しています。

ますば、麺カタから確認です。
細めんの麺カタです。
いいですね。

次にスープです。
こってり系のスープです。
鳥のスープです。

天一みたいに、こてこてしていません。
でも、味の系統は、丸鶏をじつくり煮込んだキナリ色したスープです。
どこだけ、五条西小路上がったところに、同じような味の系統の店がありました。
もっとこってりしたスープでしたね。
ここのは、そこまでこってりしていません。

悪くはないです。
悪くはないと言うのは、やはりこうしたこってりした鳥のスープが美味いと思えないからです。

まず、これが食事か否かですね。
ラーメンとしては、ありかも知れませんが、食事という概念にはなりません。
ライスが欲しくないんです。
ライスと相性がいいとは思えません。

若いて言うなら、そばですね。
そばで有名な蕎麦屋の、盛りそばです。
盛りそばは、酒を呑む時に頂いてもいいし、小腹が空けば空腹を満たしてくれます。
しかし、盛そばだけで腹いっぱいの食事になるかと言えば、少し違います。

嗜好品としての「そば」が、そこにあります。
ちょっと食う「通」の食べ物的な感覚があります。
その為、美味いそばというと、車で何時間も掛けて信州のどこそこまで行く人も多いです。

もちろん、普通の蕎麦屋や定食屋のそばは、食事としてのそばを感じますね。
ごはんものと合うそばの存在です。

そこに行くと、関西のうどんは、ごはんが欲しくなりますね。
カレーうどんには、白いごはんが必要です。
小ライスでいいんです。

私がいつも行くラーメン藤や大黒屋、そして、新福菜館も、食べているとごはんが食べたくなります。
ラーメンのベースは、ラーメンライスかも知れませんね。
これが食事としてのラーメンの位置付けです。

もちろん、ライスを一緒に食べなくてもいいんです。
ビール呑みながら、ラーメンもいいいですね。
盛そばで、ビールはないです。
やはり、日本酒でしょうね。

「呑まぬくらいなら蕎麦屋に入らぬ」の池波正太郎氏の金言です。
蕎麦屋には、酒のつまみがありますからね。
板わさもいいです、海苔という手もあります。

少し呑むには、ちょうどです。
蕎麦屋で、出来上がるのは、礼を欠きます。
ここでは、軽く嗜む程度です。
居酒屋とは違います。

なか坊のラーメン、手間がかかっています。
丹波地鶏の丸鶏のスープ、時間を掛けて作られています。
丁寧な仕事です。
それはよく分かります。

チャーシューも、珍しい皮付きです。
ネギも輪切りでなく、刻みにしてあります。
こだわりはよく分かります。

しかし、この味どこへ向かうのかが分かりません。
学生街でもあり、お稲荷さんの参道でもあります。
誰に食してもらいたいのかの、コンセプトが見つかりません。
深夜に食べるラーメンなら、ありですね。

ただ食事として頂くとなると、量も少ないし、何かアクセントが足りません。
一味唐辛子も合う味です。

店内には、カレーも一緒に作られています。
この辺も、ラーメン専門店なのか、定食屋さんのなのか、これまた曖昧です。

キムチも美味いし、ごはんと合うメニューにしたら、もっと流行るような気がします。
ビールの肴に合うものも必要です。

それとも、ラーメンだけの専門店として、凛としてやるべきなのか、迷いの様が感じられます。
左京に、知る人ぞ知る名店「東京ラーメン」があります。

びっくりするほどの美味さではありませんが、食べたくなります。
ここは、ラーメンの他に、カレーも置いてあります。
限定数ですがね。

大抵の方が、ラーメンを頼まれます。
値段も安いです。
京大辺りの学生さんも多いです。
急に東京ラーメンが、食べたくなりました。

美味いものと言うのは、びっくりするほど美味いものには出会えません。
徐々に食べなれて、あれが恋しいと思うものもあると思います。
天下一品のラーメンも毎日は食べたくなくても、時々食べたくなるという人は多いと思います。

私は、苦手です。
いえいえ、苦手どころか、こってりは一度も食したことがありません。
あっさりは、数度食しただけです。

私の味の系統には、ありません。
豚のスープが、京都のラーメンの味です。
ラーメン藤や第一旭なんかの醤油が、王道の私の味ですね。

播州に生まれ育った私には、ラーメンというと、「清水」のラーメンです。
鶏がらスープの醤油、中華料理のラーメンです。
京都なら、三条のマルシン飯店なんか、私の好みの方向性の味です。

ただ、麺が違います。
この辺では食することがないかん水の匂いのするラーメンです。
麺ももっと麺カタを感じます。

時々、中華料理店に入り、ラーメンと焼飯を食するのが、至福です。
それも自分好みのラーメンに出会うと、至福です。
七条塩小路にあった「大統領」も懐かしいです。
あそこに麺は、私の好きな「釧路製麺」でしたからね。
焼飯も好きでしたね。

あれやこれやと食していると、あそこと系統が似ているとか感じますね。
スープですから、鳥か、豚か、魚介か、基本は決まります。
それらと他の材料の割合によって、味も変わります。
たかがラーメン、それどラーメンです。
奥が深いですね。

作り手も真剣なら、食べる客も真剣に向き合うことが必要です。
空腹を満たすための食事でなく、茶室の「主客の交わり」の如く、一期一会の精神的な世界を感じます。
一期一麺の精神ですね。

現世には、いろいろな縁で繋がっています。
過去も未来も、これまた繋がっています。
ラーメンの麺のように複雑に絡んでいます。

この世は、悪い縁を断ち切り、いい縁を結ぶ。
悪いことをせずに、いい行いをする。
これらの実践しかないです。

食を司るのは、大変な職業です。
それだけに多くの方の縁も繋がります。
また覗いてみたいと思います。

ありがたい仏縁を頂けていることに感謝しています。
ありがたいです。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、なか房だけに公平な味の記事に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。