''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

南座十月大歌舞伎 歌舞伎十八番「矢の根」より。

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先日の日曜日、プログのお友達Hさんに歌舞伎の券を頂いて、歌舞伎見物に参りました。
昔、学生の頃に、鑑賞の学びのようなものに行って以来の、ご無沙汰です。
特に南座は、前回も猿之助さんの衣装の開催があり、この南座に初めて入りました。

今回は、歌舞伎鑑賞と言うことで、少し緊張しました。
前にも歌舞伎を見た事があると言うので、隣は同行カメラマンです。
幕内の弁当の方も用意しています。

最初の演目は、歌舞伎十八番の内 矢の根です。
主人公五郎時致を演じるのは、橋之助丈です。

橋之助さんと言えば、御宿かわせみの神林東吾さんです。
何とも、江戸情緒を大胆におおらかに演じる役者さんです。
歌舞伎役者ならではの、趣がたまりません。

享保十四年(1729年)、二代目團十郎が演じたのが最初だと言われているようですね。
歌舞伎十八番の中では、最も上演時間が短い演目であるともあります。
少しネットで調べました。

あらすじは、
曽我兄弟の弟の五郎時致が、武人の嗜みとして矢の根を磨いています。
五月人形のような、もこもこです。
いでたち、一見すると「暫く」に出てきそうな大仰格好です。

大薩摩文太夫(男女蔵)が、そこに年始の挨拶に来て、お年玉として扇子と宝船の絵を置いていった。
絵の方はよく分からなかったです。

やがて、眠くなった五郎は、めでたい初夢でも見ようと、宝船の絵を枕に大の字になって寝ます。
大の字と言うより、リクライニングの椅子に腰掛けている感じです。

その夢枕に現れたのは、兄の十郎です。
工藤の館に捕えられている、と言うことです。
びっくりして、目が覚めた五郎です。

ちょうど、そこへ初荷の大根を馬に背負わせた馬士(亀鶴)がやって来ます。
これ幸いと、何と五郎は馬をひったくり、兄救出へと向かうというのが話の筋です。
ちょっと強引ですね。

馬も、前脚と後脚に、一人一人が入っています。
息もぴったり、前後します。
大根を背にくくっているのが、何ともユーモラスです。
そして、五郎と馬士のコミカルな、遣り取りに場内も笑いに包まれます。

五郎は、この馬に実際に乗って、鞭の替りに大根を持って、兄のところへ向かいます。
何ともコミカルです。
舞台袖が狭いので、一度馬が止まり、頭を下げて、橋之助丈が場内を去ります。

この辺は、南座ですね。
その近くで見ていました。
お顔もはっきり見えました。

最初は、難しい話に思えましたが、途中で、馬が出てきた所辺から、一気に楽しくなりましたね。
細かい芸の所作に、なかなか難しいものだと感じました。

芝居は、約55分でした。
ここで最初の幕内の休憩が、30分入ります。

明るい光りの構成と五郎の赤い衣装が、ぱっと映えます。
まぶしく位でした。

馬の荷が、大根というのは、滑稽です。
大根役者と言えば、当たり役のない役者の事です。
しかし、大根は、和にも洋にも、生でも加熱しても食べて美味いです。
主役にならなくても、無くてはならない脇役です。

時に鰤大根なら、鰤より主役になっています。
おでんも、旨味を吸い込んだ大根を、狙って来るお客も多いです。
芝居の役の上では、主役ではありませんが、主人公です。

禅の言葉、禅語に「主人公」と言うのがあります。
あなたが、あなたの人生の主人公です。
富める者も、貧する者も、元気な者も、病める者も、どんな人でも、時間は同じです。
1日、24時間です。

金持ちだからと言って、天は26時間はくれません。
その24時間は、俗に言うの四六時中ですね。
24時間をどう使うのか、この辺が自分の主人公としての価値を決めます。
時間に自分が使われるのが、それとも自分が時間を使うのかですね。

今あることは、偶然でなく、必然です。
天命あるから、そこに存在しています。
生きているのでなく、何かの力で生かされています。
私の場合は、仏様です。

ありがたい仏縁を頂けています。
ありがたい感謝しています。

謙虚に生きる。
日々の暮らしの中にこそ、幸せがあります。
こうした特別な歌舞伎の鑑賞の時間を頂けた事に感謝しています。
Hさんありがとさんです。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、あのねと注釈多い話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。