''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

7月の禅のカレンダー「打成一片」より。

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すでに7月になりました。
一年の半分が終わったことになります。
子供の頃に感じた1年より、大人になってからの1年が短く感じられます。
そんなものかもしれないですね。

 

恩師に頂いたカレンダーを、一枚捲って7月のカレンダーにしました。
7月の禅のカレンダーは、「打成一片」(だじょういっぺん)です。

 

鎌倉建長寺派管長 吉田正道老師の書です。
大意
鉄は熱いうちに叩けといわれる。多くの信望わ寄せた先者、祖師方が妙光を放ち、高僧にならた艱難辛苦(かんなんしんく)の歩みは筆舌に尽くし難い、と解説が書かれています。

 

その意味するところは深いですね。
座禅することに没頭一念することで、すべてが一体となった悟りの境地のようです。
禅語と共に、達磨さんが描かれています。

 

石の上にも三年と言われる達磨さんのお姿です。
何事にもそうした忍耐が必要なんでしょうね。
私には、そこが欠けているところです。

 

「耐えよ」という横山たかしさんの言葉に深い意味を感じますね。(赤いハンカチは必要ありません)
漫才とは言え、「ぶっちゃけ」、そうした深いお諭があったかもしれませんね。

 

間違ってはいけないのは、座禅すれば仏になれると言うことではありません。
落ちている瓦を石で擦っても、玉やダイヤモンドにはなりません。

 

「直心是道場」、どこにあっても修行は出来ます。
山の中にあっても、林中にあっても、市井にあってもです。
心の修行だと言うことですね。

 

禅の高僧が行われた修行は、苦行そのものです。
そんな苦難は出来ません。
ただ、道を長安に向かって、歩くことだけです。
それも、私にとっては修行です。

 

道は近きにあり、と思っています。
日々の暮らしの中にすべてがあるように感じています。
特別な道でなく、日常の生活の中にあると信じています。

 

禅と言えば、只管打坐の禅の道元禅師をイメージします。
道元禅師と言えば、やはり福井の永平寺を思い浮かべます。
年末の『ゆく年くる年』の除夜の鐘の音です。
しかし、私の暮らしの中でも、意外に道元禅師と関係があります。

 

道元禅師は宋からの帰国後、一時、寛喜2年(1230年)伏見・極楽寺跡の寳搭寺近くの安養院に移られます。
その後、天福元年(1233年) 稲荷山近くに興聖寺を開かれたと聞きます。
永平寺開山より以前の話です。

 

どちらの寺も今はありませんが、家から歩いて行ける場所です。
いつも歩いている道を道元禅師も歩かれていたことでしょう。
京都から伏見そして、奈良に通じる旧街道近くですから、かならず、同じ道を歩かれています。

 

家近くからは、最初に修行された比叡山も見えます。
東山三十六峰の最初と最後の稲荷山が身近に感じられます。
やはり、東山三十六峰は霊山ですね。
比叡山から伏見稲荷大社のある稲荷山まで、息吹を感じます。

 

寳搭寺さんは、私がよく行く場所で、初詣にも来ています。
記事にもよくしていますね。
私にとっては、聖地かも知れません。
あの日像菩薩さんの荼毘所としても有名です。

 

やはり、不思議なことですが、伏見稲荷大社のある稲荷山辺りは、不思議な聖地であるように感じます。
そんな不思議な場所近くに住しています。
長屋の路地を出た道を、多くの偉人や歴史の有名人が歩いたと思うと、不思議です。

 

今でも比叡山から修行僧が降りて来られます。
日曜日には、「おー、おー、おー」と、大きな声で何人も列を連ねて、托鉢に来られます。
あの声、知らないとちょっと怖いです。

 

そうした仏の縁が強い場所に住しています。
不思議なところです。
それも日常です。

 

日々の暮らしの中で、ささやかな「よかった」を探します。
目線を下げたところにあるんです。

 

ありがたいことに、私は仏縁を頂けています。
見えるところにも、それが見えます。
ありがたいと感謝しています。

 

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。

 

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

 

最後まで、駄作一辺の話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。