紅葉の木も植えられて、昔と違った秋の紅葉を楽しめます。
観光客が、この大鳥居をバックにして、写真を撮られています。
観光客が、この大鳥居をバックにして、写真を撮られています。
私もこの大鳥居に来ると、いつも天を見上げます。
私の師匠が、よく言われていたことかがあります。
何やら知り合いの知り合いの話に寄れば、ある方がこの大鳥居を潜られようとすると、天から弘法大師がゆっくりと降りられて来て、この稲荷山のどこかの滝の近くで修業をするようにと、お告げがあったと言われるのです。
私の師匠が、よく言われていたことかがあります。
何やら知り合いの知り合いの話に寄れば、ある方がこの大鳥居を潜られようとすると、天から弘法大師がゆっくりと降りられて来て、この稲荷山のどこかの滝の近くで修業をするようにと、お告げがあったと言われるのです。
今でもこもられていることでしょう。
稲荷山は、霊山です。
私には、納得できる話です。
兎に角、稲荷山には不思議な伝承が多くあります。
稲荷山は、霊山です。
私には、納得できる話です。
兎に角、稲荷山には不思議な伝承が多くあります。
この中にも、伏見稲荷の事がいくつか書かれています。
それでも、何か納得してしまう自分がいます。
弘法大師と、稲荷大社の手打ちの話も過去にしています。
東寺造営に、稲荷山の神木を使ったところ、神の怒りの触れたようです。
それでも、何か納得してしまう自分がいます。
弘法大師と、稲荷大社の手打ちの話も過去にしています。
東寺造営に、稲荷山の神木を使ったところ、神の怒りの触れたようです。
そうした不思議な力は、存在します。
それにしても、大鳥居に弘法大師さんが、降りて来られることもないように思えて、しかたないです。
未知なるものも、この世の中にはあります。
見えないから、解らないから、間違っているとは言えません。
それにしても、大鳥居に弘法大師さんが、降りて来られることもないように思えて、しかたないです。
未知なるものも、この世の中にはあります。
見えないから、解らないから、間違っているとは言えません。
世の中には、見える法の世界と、見えない妙の世界が、存在します。
それらは、表裏一体となっていると確信しています。
ちょうど、水面みたいなものかもしれません。
それらは、表裏一体となっていると確信しています。
ちょうど、水面みたいなものかもしれません。
水の上から、水の中は全て見えません。
時に見えることもありますが、それは浅瀬水だけです。
時に見えることもありますが、それは浅瀬水だけです。
金剛界と胎蔵界の世界も、仏様にはどちらも行き来できる見える世界でしょうね。
二つの世界も水面のように、表裏一体のものかも知れません。
弘法大師も、兜率天(とそつてん)で、弥勒菩薩様がこの世に次の仏様として56億7000万年後の出現に備えて、ご修行のされているのかも知れません。
二つの世界も水面のように、表裏一体のものかも知れません。
弘法大師も、兜率天(とそつてん)で、弥勒菩薩様がこの世に次の仏様として56億7000万年後の出現に備えて、ご修行のされているのかも知れません。
この世はまだまだ修行が必要です。
出来れば、気軽に楽しめる修行がいいです。
朝起きで仕事して、帰って晩酌しながら、手酌の慰労酒です。
こんな楽しい修行なら、毎日でも出来ます。
出来れば、気軽に楽しめる修行がいいです。
朝起きで仕事して、帰って晩酌しながら、手酌の慰労酒です。
こんな楽しい修行なら、毎日でも出来ます。
そう思えると、すべてが楽になります。
日々の暮らしの中に、ささやかな幸せがあります。
ありがたい仏縁です。
日々の暮らしの中に、ささやかな幸せがあります。
ありがたい仏縁です。
心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。
今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。
最後まで、歩いていける散歩道の話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。