''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

12月31日、大晦日の伏見稲荷大社の風景 より。

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先ほど帰宅しました。
JR稲荷駅を降りると、すぐそこに伏見稲荷の参道に通じる大鳥居があります。
最近、この参道が改修されて、綺麗になりました。
道路専用道路と人の参道が、分離されたことにも因ります。
より安全に参拝ができるようになったと思います。

 

その参道に、露天商が屋台を出されています。
あと数時間で、この参道も人で埋め尽くされます。
明日天気が良ければ、歩く事もままならない多くの参拝者でいっぱいです。
関西では、1、2を争う参拝者の多い神社ですからね。

 

こっそり裏道からなら、本殿に早く入れます。
ただ、伏見稲荷大社は、散歩によく行きますが、信心の対象ではありませんので、手は合わしません。
勘違いして貰いたくないのは、信心の対象でなくても、神様ですから、畏敬の念をもって居ります。
神の領域であることを自覚して、稲荷山に入っています。

 

伏見稲荷山は、一種の霊山です。
山自体が、息吹のような呼吸をしているように思えます。
とりあえず、神秘の存在です。

 

もともと、ここは藤森神社の境内でした。
それに付いては、散々書いて来ました。
ですから、伏見稲荷大社の周りに、誰一人氏子はいません。
周りは、みんな藤森神社の氏子さんです。

 

東山三十六峰の最後に当たります。
特別な場所です。
幾つかの宗教団体も、ここに本部を構えています。
神秘的な御山です。

 

今月の私のサブテーマは、「赤穂浪士」です。
この伏見稲荷神職であった羽倉斉(はぐらいつき)が、旧知の仲の内蔵助に情報を提供したとあります。
吉良上野介が屋敷に在宅している確実な情報を手に入れる為に、力を貸したと言われます。
この羽倉斉こそ、国学者荷田春満(かだのあずまろ)でした。
神の研究の上でも、重要な功績を残しています。

 

吉良家討ち入りの影には、こうした多くの方のお力が必要であったことは、確かです。
私の暮らしも同じです。
多くの人に、助けてもらっています。
この1年も感謝致します。

 

また、今年が1年静かに過ごさせ事に、私は仏様に感謝致します。
生きているのでなく、何かの力で生かされています。
謙虚に暮らして生きたいです。

 

この1年、皆さんにも、このブログを可愛がって下さって本当にありがとさんです。
この場を借りまして、お礼申し上げます。

 

日々の暮らしの中に、ささやかな幸せがあります。
ありがたい仏縁に感謝です。

 

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。

 

今日もこの1年も、私も世の中も、平穏無事に暮らせたことに感謝致します。

 

最後まで、忠臣蔵をはぐらかした話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。

 

この1年、このブログを見て下さって、ありがとうございました。