''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

今年も、藤森祭の宵山だより。

朝からどんよりしています。
やはり、ゴールデンウィーク後半は、天候が不安的ですね。
大荒れにさえ、ならないといいです。

私の住まいする伏見の地でも、大きな祭りがあります。
藤森神社神幸祭(神輿巡行)、駈馬神事、それに武者行列・鼓笛隊と、一日中の行事があります。

大きなイベントです。
私の住まいする土地の氏神さまでもあります。
町内の方は、武者に扮して、一日中行列に参加される町内の役の方もおいてです。
子どもさんが居れば、鼓笛隊として、参加されることが多いです。

神輿も、男性だけでなく女性の担ぎ手も、居られます。
募集されていますからね。
天神祭りの女性の担ぎ手みたいに、有名ではありません。
ただ、パッピに、はん脚、そのいでたちもイナセな感じがします。
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土地の方には、パンフレットが配られています。
もちろん、そこには祈願とお布施の申し込みもあります。
いつも心ばかりの寸志です。

今年も何を祈願しようかと、思いましたが、やはり毎年同じ言葉にしています。
「平穏無事」
何事もないことが、一番の幸せです。

ものすごい数に人が、この祭りに参加されます。
神輿も、地域に分かれて、東福寺郷、宮本下之郷深草郷と、三体の神輿が出ます。

それに伴って、参列者も分かれます。
その行列は、数キロです。
この辺りは、稲荷への参道近くに当たります。

しかし、毎年書いているように、この辺りに、稲荷さんの氏子は居ません。
もともと、伏見稲荷大社は、藤森神社の境内だったのです。
それを、言葉巧みに騙されて、今の地に移された経緯があります。

この神幸祭(神輿巡行)、武者行列・鼓笛隊は、その稲荷さんにも立ち寄ります。
昔は、土地返せと抗議の行列でもありましたが、今では儀式として、稲荷さんの神主さんと藤森の神主さんの両方による神事ということになっています。
2年ほど前に、その現場を見てきました。
過去の記事にしています。

不思議な儀式です。
大きな勢力の手打ち式みたいなものです。
その現場には、京都市の市長と議長立会いの元、儀式が行われました。
今年も同じように、こうした儀式も行われます。
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そのスケジュールは、分刻みですね。
のろりのろりと進みます。
もちろん、警察物々しい警備があります。
やはり、事故防止です。

それでも、無謀な車が列に近づきます。
今年は、あちこちで、車の事故が続いています。
安全第一で、お願いします。
参道には、多くの地域の方や、子どもさんも多く見ておられます。

祭りも安全が一番ですね。
危険に祭りが多いですからね。
朝の連続小説『カーネーション』の岸和田も凄いです。
物々しい勇ましい祭りです。

播州にも、荒々しいことで有名な「灘のけんか祭り」と言うのがあります。
海の近くの祭りですから、物凄いです。
神輿と神輿をぶつけ合います。
あちらこらちで、けんかもあります。

勇ましいと言うより、荒々しいという言葉しかありません。
地域の一大イベントです。
正月や盆より、盛大です。
岸和田と同じで、一年中祭りのことを考えて、生甲斐にされている方も多いです。

土地柄と、神様の位置づけが、その氏子とびったりと合った奇祭の一つです。
あの祭りを思えば、藤森祭は、穏やかです。
私には、穏やかな方が、心地よいです。
人幸せを祈り、地域の平穏を祈ることが何よりありがたいです。

藤森神社の境内で行われる駈馬神事は、必ずテレビのニュースになります。
境内の中を馬が走ります。
駈け馬で、こちらは競馬関係者の神様としても有名です。

もともと、端午の節句、発祥の地です。
端午の節句といえば、菖蒲の花でも有名です。
菖蒲が勝負にも通じます。

この事から、競馬関係者、勝ち馬に縁付いた神様となっています。
もともとは、舎人親王様をお祀りされていますので、山城の国では、もっとも古い学問の神様です。
学問の神様と言えば、菅家の天満宮が有名ですが、順番から言えば、こちらの方がずっと古いし、格式が高いと言う事になります。

それでも、人気は天満宮様ですね。
どちらも、ご利益はあると思います。
少し空いている分、ご利益が強いかもしれませんね。
信じる者こそ、救われます。

お寺も神社も、もともと、お願いをするところではありません。
お賽銭を入れた見返りを求めることが、いけません。

寺院仏閣は、感謝をするところです。
ありがたいと感謝する場所なのです。
微弱なお賽銭で、あれもこれもと値段以上のお願いをされても、願いを適える事は、多少無理です。

そうではなく、無事に過ごすことが出来てありがとさんてと、感謝する場所だと思います。
多くを願わず、今あることに、日々の暮らしを送れることに感謝すべきだと思います。
見返りを求めずに生きるのは、心を穏やかなしてくれます。

功徳も、何かする見返りを求めて、まさしく「無功徳」です。
梁の武帝の二の舞です。

どんなにいいことをしても、ただ一度、心の中で「どや顔」すれば、すべても元の木阿弥です。
まさしく、功徳はありません。

なかなか難しいことです。
悪い行いをせずに、いい行いをする。
ここには、見返りは不要です。
そのことによって、悪い縁を断ち、いい縁が結ばれます。

ありがたいことに、私は仏縁を頂いています。
ありがたいことに、私は神縁を頂いています。
ありがたいと、感謝して、日々を暮らしています。
日々の暮らしの中、ささやかな幸せを見つけます。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、あちこちに駈け過ぎた話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。