''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

ダノン ビオ BE80 白桃を食して吟味する より。

今日の昼間は暖かかったですね。
気温も13度はゆうにあったと思います。
3月上旬から中旬の気温だと思いますね。
こんな日は、ゆっくりと鴨川沿いで、お弁当かサンドイッチを持って、発泡酒かワイン片手に、一日を過ごしみたかったです。

やはり、今日も仕事です。
貧乏人に暇はありません。
何も言わず、じっと手を見ます。(欧米か?、いえいえ、啄木か?)

しかし、健康が一番の幸せです。
巨万の富を手に入れたとしても、健康でないと幸せではありません。
しかし、私は痛風患者ですから、何事にも気を付けます。

気温の変化に、体が上手く順応出来ません。
これだけ、気温に上下があれば、水分補給が上手くいきません。

という事は、こうした気温の変化が大きい時には、発作の注意が必要です。
大変危険です。
少し予兆も感じます。

そのためにも、毎日朝食にヨーグルトを食べています。
私の体には、ヨーグルトが痛風の発作を抑えてくれます。
あくまでも、予防です。
転ばぬ先の杖でしかありません。
イメージ 1

先日、スーパーフレスコで買ったのは、6個入りです。
先日記事にしたアセロラ&ベリーミックスと白桃のセットです。

今日の朝は、白桃を食しました。
香りがいいですね。
朝食には、適していると思います。

温かいコーヒーと、鳥の炊き込みご飯のおにぎりが、今日の朝ごはんでした。
今日は、バラバラのメニューです。
残り物にしていた炊き込みご飯を、冷凍庫に保存していました。

それを、レンジで温めただけです。
それに、インスタントのコーヒーを飲みました。

絶対に温かい飲み物を飲むようにしています。
体を冷やすのは防ぐ為です。

混ぜご飯のおにぎりも、熱々です。
一度温めてから、ヨーグルト頂くようにしています。

白桃もなかなか私の中では、お気に入りです。
また購入してみたいと思いますね。

白桃と言えば、白頭です。

白頭 掻けば更に短く 白頭掻更短
渾(すべ)て簪(しん)に勝えざらんと欲す 渾欲不勝簪

唐の詩人・杜甫の五言律詩「春望」です。
国破れて山河在り 国破山河在
最初の一句は有名です。

関西では、「国破れて サンガリア」のCMで有名な飲料メーカー・サンガリアですね。
社名の由来も、この「国破れて山河あり」にあると聞きます。
ちょっと甘い目のコーヒー飲料です。

杜甫が仕官が叶って、右衞卒府冑曹参軍なる官職を与えられたのが43歳の時であったと言います。
これから安定した暮らしが出来ると思った矢先の事、運悪く755年11月に安禄山の乱で、国が滅び行く運命にあった。

反乱軍に捕まって、幽閉されます。
その幽閉された窓が、眺めた景色を詠んだ詩でしょうね。

城春にして草木深し 城春草木深 

国は破れても、自然の悠久の営みは変わりない。
自然の摂理が、そこにはあります。
春になれば、花が咲き、鳥が囀ります。

すでに、白髪頭になって短くなった頭には、かんざしを指すこともできなくなった杜甫には、どんな風景に写ったことでしょうね。(トホホホホー)

芭蕉が詠んだ俳句にも、この引用が使われています。

夏草や 兵どもが 夢の跡

やはり、俳句となるとスマートに感じます。
そうなるかって云うくらいに、17字の短い世界がそこにありますね。

日本の素晴らしい文化だと、時に感じます。
花も鳥も出てきませんが、「へぇー」は出来ます。
そう来るかって云うくらいに、楽しい世界がそこに見えます。

ジョーと読んでも、イルカに乗って助けには来てくれません。(ちょっと懐かしいです)
もちろん、トリトンも、水平線の彼方から、助けには来てくれなんですよね。(ちょっとマニアックです)
あーあーと、ため息を付きたくなります。

病も同じです。
苦しいからと言って、ギブアップと言っても、レフリーは助けてくれません。
でも、病は気からです。

気持ちの持ちようです。
気休めでもいいんです。
良くなる良くなると、思うことが必要です。

ヨーグルトは、正に私にとっては、気持ちを取り戻すキーワードなんです。
「あなたは、痛風患者なんですよ」ってね。
無理も出来ませんし、一病息災を常に頭に思い置くことが必要です。
上手に自分自身を騙すわけです。

それも、仏の世界では方便です。
嘘も方便の方便です。
もともと、仏教用語です。

「方便」はサンスクリット語の upaya ウパーヤの漢語訳であり、upaya は、upa~を語幹に持つ動詞(=「近づく」「到達する」)から派生した名詞である。すなわち、ウパーヤは「接近」「到達」「手段」「方策」などが元々の 意味である。仏教用語としてのウパーヤの「近づくべき目標」は、最初の意味としては、仏あるいは悟りである。(ウィキペディア参照)

私の歩む道の到達すべき先には、そんな長安にあるかもしれません。
幸せになるには、それを実現カする手段も方法も必要です。

それは、金銭的な方法もありますが、精神的な方法の方が、現実的です。
家に1億円あっても、ドロボーに入られないかと、心が安定しません。(箪笥預金にしては多すぎます)
おちおち、晩酌も楽しめません。(そんだけあれば、祇園とか新地などの外で飲めよ)

家でゆっくり晩酌出来ることが何より幸せです。
もちろん、精神的な安堵も、健康的な安堵も、そして時間的な安堵も必要です。
すべてが揃って初めて、楽しい晩酌が出来ます。
そんなささやかな平穏な日々の暮らしが、なにより幸せです。
そう感じます。

貧乏人の僻みですね。
いえいえ、どんな状況にあっても、幸せは身近にあるんですよ。
たとえ、空想の中にも、楽しみはあります。

今あること、今生かされていることに、感謝する。
それが、自分の人生を豊かに出来るように思えます。
気持ちの持ちようは、大切です。

明日は、桃に因んだお退治の日ですよね。
それでも、仏法を守護してくれるいい鬼さんもいますので、「福は内、鬼も内」と唱えたいです。

日々の暮らしの中に、ささやかな幸せがあります。
ありがたい仏縁に感謝しています。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らせますように、祈るばかりです。

最後まで、白桃食べれば更に良くなる話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。