週末も、家籠りのままです。
そんなこんなで、週末には、家で手巻き寿司したり、パンを焼いたりしました。
先日来、我が家に、ホームベーカリーがやって来た記事を書いています。
家にホームベーカリーが必要かと言えば、正直どちらでもありません。
でも、あれば便利なモノです。
家で、焼き立ての香りと、焼き立てのパンを味わえます。
パンを焼いている時には、パン屋さんの香りがします。
家で、コーヒー点てる時と同じです。
プロのお店の味や香りは、家では出なくても、雰囲気は味わえます。
あの程度です。
でも、5歳児ゆうゆうも大喜びです。
家での時間の過ごし方も、刺激が有っていいと思います。
難しい事はありません。
嫁がするのは、粉に水を入れるのと、イーストを入れるだけです。
後は、機械がやってくれます。
今回は、焼き上がりの皮(耳)が淡い色に設定しました。
いい感じです。
いつものように焼き立てのパンを使ってオープンサンドにしました。
これなら、素人でも失敗はしません。
ただ、一定の厚さにパンをカットするのは、コツが必要です。
頻度が多くなれば、専用のパンナイフも買おうかと、嫁と相談しています。
とりあえず、今は私のテクで何とか成っています。
因みにお皿は、嫁愛蔵のウェッジウッド キャベンディッシュ(WEDGWOOD CAVENDISH)です。
飽きが来ないシンプルな味わいですね。
レタス、キュウリ、ベーコンエッグ、トマト、ソーセージと盛りだくさんです。
写真は、ケチッャプを盛る前の図です。
5歳児のゆうゆうも、ある程度食べると、器用に二つ折りにして、食べることも覚えました。
手慣れたモノです。
家で焼いたパンの皮が好きみたいです。
1斤焼いて、家族3人で丁度です。
生野菜もたっぷり取れます。
写真にはないですが、このベーコンエッグの他に、熱々のコロッケも用意していましたので、コロッケのオーブンサンドにして頂きました。
今回は、横カットです。
1斤を横に6つにカットにして、1人前2切れになります。
程よい量だと思います。
まだ、我が家の定番のパンの好みを模索しています。
いずれ、これが我が家のパンの味に決定するまで、時間は掛かります。
時短の2時間モードも試してみたいです。
我が家にホームベーカリーがやって来て、少し生活が変化したかもしれませんね。
その意味では、ホームベーカリーは買って良かったと嫁の意見です。
私も5歳児ゆうゆうも、同感です。
パン道に暗いとは言わせません。
パン道と言えば、昔中学の頃教科書で習った「一切れのパン」の記憶が強いです。
ハンカチに包まれたパンだと思っていたのは、一片の木だったのです。
それによって、生きる希望を持って過ごせたことになります。
ネットで調べると、この話がムンテヤーヌと言うルーマニアの方が書いた短編小説だと知りました。
嘘も方便いいますが、方便は仏教用語から来ていると言います。
この「方便」とは、サンスクリット語の「ウパーヤ」が、漢訳されたものとされており、「ウパーヤ」とは「到達する・便宜的な手段や方法」と言う意味を持っていると聞きます。
「仏様が一切衆生を救うために、教え導く為の仮の便宜的な方法」と考えれば、それもありがたいです。
仏の教えとは、対機説法ですから、答えは人によって違う事もあります。
でも、到達する目的地は、同じだと考えます。
分け登る麓の道は多けれど 同じ高嶺の月を見るかな
一休禅師の和歌にもありますね。
とりあえず、方便であっても、それを信じて「一片のパン」たど、思うだけで勇気と元気が出来ます。
そうした話に、今でも記憶していると言うのは、仏の道にも近しいモノがあったのかもしれません。
幸せは、遠くになくても、近くにあるものだと、強く感じます。
49歳にして嫁と暮らし始めて、数ヶ月の50歳にして父になった不思議な縁の中で、我が子と過ごすささやかな時間が、何より貴重で何よりありがたい事であると考えます。
世の中の求める幸せとは違うかもしれませんが、私はこのささやかな幸せを守りたいですね。
ありがたいことです。
親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。