''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

梅雨の中休みと紫陽花の花見 より。

梅雨と言うのに、天気が続いています。
俗に中休みと呼ばれるものですが、それはいいです。
雨音に目覚めると、何だか気鬱になるのが、人の常です。

スクーターで外出しますので、もちろん、合羽のお世話になります。
合羽と言っても、バイク用のレインスーツです。
防水スプレーも振ってありますので、濡れることはありません。

ただ、ヘルメットからの見通しが悪いのが、気鬱になります。
神経をすり減らします。

それでも、日々是好日ですと、うそぶいています。
とは言え、雨が悪いわけではありません。
少し早い目に家を出れば、いいことだけです。
イメージ 1

何やら梅雨と言えば、マイナスイメージ先行ですが、庭に紫陽花の花を見つけました。
綺麗です。
可憐、清楚と言う言葉が似合いそうです。
年の頃なら、18歳、番茶も出ばなの、あの娘18歳の、枕詞的に意味合いの常套句がつきますね。

私的には、17歳、それは森高千里さんの「17歳」ですよ。
あれ、南沙織さんの「17歳」(作詞: 有馬三恵子、作曲・編曲: 筒美京平 1971年)と言うイメージも、微かにあります。

時代的には、1973年の麻丘めぐみさんの『わたしの彼は左きき』(作詞:千家和也 作曲・編曲:筒美京平)の方が好きでしたね。
ともに、筒美京平の曲ですね。
すごい息の長いヒットメーカーと言えますね。
時代時代に、自分の時の思い出や記憶が、蘇るのが、名曲かもしれません。

♪小さく投げキッス する時もする時も こちらにおいでと 呼ぶ時も呼ぶ時も いつでもいつでも 彼は左きき

大ヒット曲『わたしの彼は左きき』と言えば、左利きのイメージを上げた曲でもありましたね。
それにもう1曲、ピンク・レディーさんの『サウスポー』でしょうね。
子供の頃は、「ぎっちょ」と呼んでいましたからね。
私は、郷里播州の方言かと思っていましたが、全国的な名称のようです。

平安貴族の毬を使った遊びの一つにあった「毬杖(ぎっちょう)」というものに由来するようです。
この中で、杖を持った人を「左毬杖(ぎっちょう)」と言う所から、左と言えば、誰もが「毬杖(ぎっちょう)」をイメージする言葉だったようです。(あくまで諸説の一つのようです)

どちらにしても、17歳や18歳と言えば、一番華やかな時期の少し前をイメージしました。

この若い時期には、若い時期の美があり、もっと華やかな時期には、華やかな時期の美があり、散り際の時期には、散り際の時期の美があるわけです。

どれも、その瞬間瞬間にある美だと言えます。
人間も花も同じかもしれません。
一期一華の美がそこにあります。

誰にも見られないところに咲いていますが、私はそれを捉えます。
こんな所に、美があるんですよ。
「雪間の草の春を見せばや」、家隆卿の詫びた人生訓が頭を過ぎります。

ここに幸ありですね。
ありがたいです。

日々の暮らしの中に、ささやかな幸せはあります。
ありがたい仏縁に感謝して、暮らさせて貰っています。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。

今日も明日も、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、花に『魅せられて』しまった話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。