スーパーの特売のチラシにひかれて、行ってみたら、私には特売よりも魅せられたものがありました。
もちろん、定番のマルちゃん カレーうどんの5Pです。
インスタントの袋麺ですね。
インスタントの袋麺もよく買います。
嫁も、チキンラーメンとか、ワンタン麺とか、定番のモノをよく買った来ています。
滅多に食べないですが、何かないと言われると、ランチに走りやすい傾向が強いです。
時短手抜きのランチなら、これが一番です。
ワンタン麺などは、栄養面も考えて、野菜を一緒に取ることもあります。
それも、袋麺の魅力の一つです。
マルちゃん カレーうどんには、少し魅せられますね。
味といい、香りといい、あの袋麺の平たい麺が何とも言えずに、癖になります。
昔は、インスタントのカレーのうどんも他社のがあったし、カレーラーメンも当時は発売されていましたね。
それが、あっという間に、カレーラーメンの袋麺は消えましたね。
その代わりに、インスタントカップ麺では、ラーメンもうどんも生き残っています。
今すぐに変えるインスタントのカレーうどんは、これが一番安定した味です。
いえいえ、郷愁の味かもしれません。
食べると、懐かしい昭和の味です。
魅せられてというと、中学校の時に流行ったジュディ・オングさんの大ヒット曲『魅せられて』(作詞:阿木燿子,作曲:筒美京平)でしょう。
♪ 南に向いてる窓を明け 一人で見ている 海の色~
ビジュアルな情景が映画のように見えるような阿木燿子さんの歌詞の世界ですね。
私の中で、ジュディ・オングさんと言えば、映画やドラマの『賞金稼ぎ』の陽炎(かげろう)のイメージが強いですね。
主演の若山富三郎 さんが演じる 錣市兵衛(しころ いちべえ)と言葉を交わさずともあうんの呼吸で、目的を果たしていきます。
まだ、時代劇のよかった時代です。
懐かしいです。
南を向くと言えば、禅の言葉、禅語の「向南見北斗(みなみに むかって ほくとを みる)」ですね。
不思議な言い回しでしよう。
見性(けんしょう)しよう、悟りを開こうというなら、よろしく「北に向かって北斗を見る」にも似た常識の立場を離れ、科学的知識や哲学的思索の態度を捨てて、「南に向かって北斗を見る」というような超論理的な態度に立ち、三昧(さんまい)という手段をとれというのが、この一句の意味である。(我が愛読書の芳賀幸四郎著「禅語の茶掛 一行物」、淡交社 刊)
禅では、固定概念に囚われないことも必要になるでしょうね。
禅的な思考によれば、「平等即不平等」「不平等即平等」です。
意味不明ながら、この世の中は、人間は皆平等と言いながら、現実世界では、貧富の差の大きい不平等の世界です。
心の精神の中では、幸せは金銭の多寡がすべてではないのは事実です。
幕末三舟としても有名で、禅の達人でもあった山岡鉄舟は、こんな歌を残しています。
銭あれば あるにまかせて ほしくなるなければないで 猶ほしくなる
これも本質を付いています。
ただ、金銭がすべてでないことは、悟った上での「猶欲しくなる」は、もっと上を悟った人間でしか言い添えない言葉だと思います。
当然の事です。
どんなに悲しい時でも、辛い時でも、人は腹が減ります。
生きていますからね。
BY みつをと書けば、頷いてしまう現代人の大人です。
人は食物を食べずして生きて行くことは出来ません。
美味しい不味いは、人が決めることながら、単純に美味い不味いだけが、美味さではないはずです。
そこには、その方の生きた人生の思い出の味も、加味する必要もあります。
その時しか味わえない味もあるし、体得した事によって得られる旨味の味もあると思います。
懐かしいという不思議なスパイスも、これ有るんですよね。
思い出の記憶の味もあります。
味は、その時の幸せの味も加味されると思います。
誰とどこで何を食べたのか、どんな雰囲気だったのか、足しのかったのか、悲しかったのか、人生を味わってこその、日々の暮らしだと思います。
やはり、「日日是好日」ですね。
ありがたいことです。
親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。