''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

路傍の花に癒されて より。

朝早くからオフィスワークです。
深夜になって、メールが入り、仕方なく朝に仕事を持越しです。
今、その仕事もひと段落して、ブログの記事を書いています。

朝飯前と言う言葉が、何やら痛感出来ます。
5時前に目が覚めました。
よくも起きれたものと、我ながら感心です。

朝に、何かブログの記事を書くのは、久しぶりです。
いつものように何を書こうかと、推敲します。
字の如く、押したり引いたりしています。

そんな時、携帯電話の写真が頼りになります。
日常の風景を、何気なん写真に収めています。

特に、花の写真が多いです。
昨日も病院の帰り、いつもの花壇に目をやりました。
イメージ 1

気持ちなんですが、私には花がニコニコしているように感じます。
花の表情があるように思えますね。

暑くなって、しっかり水も蒔いてもらって、花が生き生きしています。
花に癒されます。

時に、花を見て、時に、月を見て、心が癒されます。
それらに、目をやる心のゆとりがありがたいです。

花を暫し見て、心のバッテリーを満たします。
ささやかでもいい、そうした気持ちのゆとりが、日々の暮らしの中、心の糧になれば、ありがたいです。

そう、この花だけに、日々是好日です。
暑い日も、雨の日も、すべて、これ好日です。

痛風の発作も治まっています。
発作の時も、そうでない時も、やはり、これ好日です。
いいときもあれば、悪いときもある。
それらを、すべて含めて、好日です。

花を何もいいません。
頑張って咲いたりしていませんよ。
暖かくなって、自然の摂理の中で、花として、咲いているだけです。

人も同じです。
頑張って生きたりせずに、人が人として、日常を生きるだけです。
生きているのでなく、何かの力で、生かされています。
常に、何かの力を感じることがあります。

天命を知るといいますが、人が人として生きている以上、生きる使命があるはずです。
生きる必要があるから、生かされていると言うことでしょう。
それが、天命を知るという言葉のキーワードかもしれません。

生きるといいながら、人も自然の中にいます。
春には春の、夏には夏の、自然の中で暮らしています。
ところが、それらに反する暮らしを求めます。
キンキンに冷えた飲み物を飲み、キンキンに冷えた環境を求めます。

最近、常温が見直されています。
コンビにでも、キンキンに冷えた飲み物でなく、常温の飲み物も売られています。
いい傾向だと思います。

キンキンに冷えた飲み物は、熱中症の対策にはならないようです。
冷えた飲み物は、胃が受付けませんので、多く摂取することができません。
常温の飲み物なら、ごくごくいけますからね。

当然、自然派の私も、キンキンに冷えた飲み物が苦手です。
やはり、常温の飲み物が、うまいと感じています。
昔からそうですからね。
この時期なら、井戸水の冷えた水くらいが、最高にうまい温度だと、子供の頃から感じていました。

常温の麦茶に、うまいと感じられる暮らしに感謝です。
自分の分にあった暮らしの中にこそ、幸せがあるように思えます。

日々の暮らしの中に、ささやかな幸せはあります。
ありがたい仏縁に感謝して、暮らさせて貰っています。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。

今日も明日も、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、花を口実にした話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。