''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

2014年8月分の電気代 より。

今年の夏は、いろいろとありました。
猛暑と言うより災害のイメージでしたね。
台風もありました。
大雨も洪水の惨事もありました。

 

こうした時に思うのは、平凡な日々の幸せです。
小さい幸せは、日々の暮らしの中で、当たり前になっています。
今あることが、物凄くラッキーで幸せであることを、こうした時に痛感します。

 

日々の節制が何よりです。
日々の暮らしが便利だと感じない暮らしは、こうした災害時により苦痛を感じさせます。
夏ですから暑いです。
その暑さを一層の事を楽しむと来れば、意外と風流人です。
数寄者と呼んでもらいたいです。(すきものとは呼ばないで下さい)

 

クーラーなど入れず、風を楽しむわけです。
涼と言う字のままに、京都の鴨川で、夕涼みするわけです。
ところが、実際の鴨川は、涼しくありません。
涼しいように、床で美味いモノを食する。

 

電燈に魅せられて、虫が舞々します。
一向に涼しくありません。
要するに、雰囲気です。
風鈴と同じです。
風鈴の涼やかな音が涼を感じさせます。

 

そう錯覚ですよ。
涼しいと感じる錯覚を楽しみます。
ベランダに腰掛けて、発泡酒を呑む。
家の中を風が通ります。

 

これが意外に涼しいです。
暑い中で、頂く少し冷えた発泡酒が、これまた美味いです。
冷房の効いた部屋で頂くキンキンに冷えたビールは、不味いです。
ビールも発泡酒も、少し冷えたモノが、香りもよくて美味いです。

 

「枯木寒厳に倚って、三冬暖気なし」と嘘ぶきます。
この語は、禅の世界では、「婆子焼庵(ばすしょうあん)」の公案と呼ばれるものですね。
心頭滅却すれば・・・・とは言えません。

 

正論を吐いても、暑いモノは暑いです。
それなら、暑いと言って、涼しきように過ごせばいいでしょう。
茶の湯の書物、『南方録』にも、茶聖・利休居士の意を読み取ります。
そこに秘する花はありません。
イメージ 1

8月の電気代です。
2,178円とは、意外と健闘しました。
先月からすれば、2,000円の大台を超えてしましました。
我が家の日々の暮らしです。

 

暑いなら、暑いを楽しむ結果です。
意外と楽しめました。
暑いから楽しめたのでしょう。
そこに、我慢や無理の意思はありません。
がんばったりもしません。

 

普通に暮らしているだけです。
もちろん、エアコンは備えていません。
都会の中にそんな空間があり、そんな生活があるだけです。
隣の家にも、エアコンは見当たりません。
マンションの大半の家に、エアコンは備え付いていません。

 

そんなマンションもあるんです。
玄関も空いています。
さすがにそれは、セキュリティーの観点から出来ません。
でも、風呂場の外の窓は、開いています。
マンションの大半の風呂場の外の窓は、開いていきます。

 

不思議な風景です。
治安って、良いのか悪いのか、分からない地域です。
でも、危険を感じることはないです。
隣もコンビニですからね。
人の往来は常にあります。

 

もちろん、寝ている部屋の窓は開けて寝ています。
そうじゃないと、蒸風呂でしょうね。
窓からの風と扇風機のコラボが、この数字に反映されています。

 

日々の暮らしに、ささやかな幸せがあります。
ありがたいと感謝して暮させてもらっています。

 

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮したいです。

 

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

 

最後まで、エゴな冬暖対応の話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。