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鳥居 忠政(とりい ただまさ)
下総矢作藩(千葉県香取市矢作)の藩祖の次男。(四男 鳥居 忠勝の次兄)
鳥居元忠の次男として誕生。母は形原松平家広の娘(徳川秀忠の又従兄弟)。
下総国矢作藩主(4万石)、陸奥国磐城平藩主(12万石)、出羽国山形藩主(24万石)。
徳川家康に従い、天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いに参加した。
天正14年(1586年)に家康に従い上洛し、従五位下左京亮に叙任される。
慶長5年(1600年)、父・元忠が伏見城攻防戦で討死し、長兄・康忠は早世していたので家督を継ぎ、下総矢作藩主となる。
忠政は、家康の命令で関ヶ原の戦いの時は、江戸城留守居役を勤めていた。
戦後に父の戦功によって陸奥磐城平に10万石を与えられ、亡父・元忠のために長源寺を建て家康から香花料として100石を賜っている。両度の大坂の陣では江戸城の留守居役を務めた。
元和8年(1622年)、最上氏が改易された後を受けて出羽山形22万石に加増移封され(後に国直しで24万石)、妹婿で新庄藩主・戸沢政盛、娘婿で鶴岡藩主・酒井忠勝、従弟で上山藩主・松平重忠らと共に、徳川氏の譜代大名として伊達政宗などの東北諸大名の監視を命じられた。
寛永5年(1628年)9月5日、山形で死去した。享年63。跡を長男・忠恒が継いだ。
- 父:鳥居元忠(1539-1600)
- 母:松平家広の娘
- 正室:滝川雄利の養女 - 生駒家長の娘
- 長男:鳥居忠恒(1604-1636)
- 室:内藤氏
- 三男:鳥居忠春(1624-1663)
- 生母不明の子女
- 養子