''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

万博記念公園に立ち寄りました より。

先日、岳父の見舞いに伊丹に行った帰りに、昼ごはんを食べようと、吹田の万博記念公園立ち寄りました。
私達世代には、1970年の大阪万博は、特別なものに感じます。
当時5歳の私は、テレビで見るくらいの特別な存在でしたね。
大阪府内にお住まいの方なら、地方からの親戚が訪ねて来られた、何度も行ったと聞きます。

私のように播州の片田舎に居たモノは、親戚のお兄ちゃんが、万博に行ったと聞いて、土産を貰った記憶があります。
当時、父に言って連れて貰うほどの知識は無かったですね。
もちろん、父も忙しかったですし、混雑した場所は苦手ですから、こうした機会もありませんでした。

それでも、アメリカの月の石は、興味津津でしたね。
当時は、アメリカとソビエトの冷戦時代の真っただ中でした。
ですから、オリンピックなどのスポーツの祭典以外で、こうした万博にアメリカとソビエトの建物(パビリオン)が建ち並ぶのも、不思議な感じでしたよ。
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子供の私には、太陽の塔がこの万博の象徴でした。
後になって、この公園に併設するエキスポランド(EXPOLAND)に何度も行っています。
その時目にしたのが、やはり、太陽の塔でした。
芸術家の岡本太郎氏の代表作品ですね。

当時、顔シリーズのCMが、テレビでもやられていました。
底に顔があるグラスが、記憶にもあります。

私達世代には、岡本太郎と言えば、ビートたけしのイメージも、強いです。
テレビでも、奇人のような扱いで、岡本太郎が登場していますね。

岡本太郎と言えば、父は、漫画家の岡本一平、母は、小説家の岡本かの子、祖父は書家の岡本可亭です。
芸術家のDNAが強いですね。
祖父、書家の岡本可亭と言えば、かの美食家で有名な北大路魯山人の書の師ですよ。

芸術家魯山人の中でも、書家としての評価は高いと思います。
岡本可亭の弟子時代は、福田可逸、福田鴨亭(おうてい)を名乗っていたと聞きます。
京都出身だから、鴨川の字を使うのは、意外とベタですね。
当時の魯山人の本名(戸籍上)は、福田房次郎でしたから、福田の姓を名乗っていたことになります。

魯山人も、岡本太郎とは、それなりに交流があったみたいですね。
気難しい魯山人が、太郎を可愛がったとも、物の本の記載があります。
食べ物ことで、言い争った事も残っています。

芸術は爆発だ」と岡本太郎の言葉ですが、この言葉通り、特別の芸術の世界観がありますね。
何か特異な他にない芸術の表現です。
その代表作品に上がるのが、この太陽の塔です。

塔の前にも、二つ顔があります。
そして、塔の後ろにも、顔があります。
後ろの顔は、過去を表現しているようです。
それなら、塔の一番上の顔が、未来の顔を、塔の真ん中にあるのが、現代の顔を表していることになりそうです。

現在、過去、未来です。
仏法世界の、過去世、現世、来世、それぞれ繋がっているんです。
輪廻と言う抜けだす事の出来ない輪の中に、人が居ると言う事になります。

岡本太郎が、そうした哲学的な仏教的思想が、この塔にあったのかは不明ですが、生命をイメージするモノのようです。

地下 - 過去 根源の世界 - 生命の神秘
地上 - 現在 調和の世界 - 現代のエネルギー
空中 - 未来 進歩の世界 - 分化と統合(組織と情報)
(ウィキペディア参照ー)

この他に、第四の顔と言うのがあったようですが、これが何を意味するかは不明です。

そんな難しいものでなく、この塔が持つ表情に、何か癒されることもあります。
不思議な作品ですが、嫌悪感はありません。
私には、この吹田の地にあって、昔からここにあった風景の一つに感じられます。

そんな万博記念公園で、水辺の風に吹かれて、昼ごはんの嫁お手製の弁当を頂きました。
すこしだけ、日々の生活から離れた気もします。
乳吞み児のゆうゆうを連れていますから、公園の中には入らず、駐車場付近からの散策したような所です。
ゆうゆうも、ご機嫌でしたよ。

ありがたいと感謝しています。

日々の暮らしの中、感謝して暮させてもらっています。
ありがたいです。
心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮したいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、裏の顔から見えた話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。