''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

脇指 銘 大和守吉道 「名刀の面影 刀絵図と日本刀の美」 大阪歴史博物館 その6 より。

大和守吉道と言えば、大和守初代、大坂丹波初代吉道の次男、三品宇左衛門です。
後に、姫路に移ると物の本に、記されています。

 

父親の大坂丹波初代吉道と言う方も、京初代吉道の次男(三品金右衛門)で、正保の頃丹波守を受領するが、菊紋は切らないとあります。
一時伏見で作刀していたので、伏見丹波と呼ばれていましたが、後に、大坂に移ったことになります。

 

どうも子の血筋は、あちらこちらに流れるようですね。
その父、京初代丹波守吉道と言えば、美濃兼道の三男にして、長兄が伊賀守金道、次兄が來金道、弟に越中守正俊と言う、刀工一家です。
吉道と言えば、京丹波丹波守の納まりがいいです。
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丹波吉道と言えば、総じて沸出来、砂流し激しく、簾刃に相応しい簾丹波や、いわゆる菊水刃を作ると言う作風です。
それにも丹波守の「丹」の字が舟の帆のように切ることから、「帆かけ丹波」と称せられると聞きますね。
なかなか、個性的な刀工ですよ。

 

愛読書の佐藤寒山著『新・日本名刀100選』の中でも、NO.77伊賀守金道(重要美術品) NO.78丹波守吉道(重要刀剣) NO.79越中守正俊(重要美術品) の三振三刀工に選ばれています。
これは、凄い事ですよ。
当時一門は、繁栄を極めたと思いますね。
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その中にあって、今回の展示は、大坂丹波初代吉道に次男の脇差です。
商都大坂にあって、贅を凝らした脇差は、豪商でも持てる富の象徴でもありました。
刃文も、よろず華やかなものが人気で、大坂での脇差の需要は多かったと思います。
さぞかし、刀の華やかだけでなく、拵えも贅を尽くしたものが、多くあったと推測出来ますよ。

 

今回の展示には、赤羽刀が目に付きます。
終戦時に、接収された刀ですね。
長い間持ち主に返されることなく、放置されていた刀が、赤羽刀です。

 

過去の記事でも、赤羽刀について記事にしています。
古い歴史の産物と思われがちですが、平成7年議員立法により、「接収刀剣類の処理に関する法律」が成立したので、まだまだ平成の最近の話ですよ。
とは言え、すでに20年以上経っています。

 

持ち主に帰らぬままの日本刀が、さまよっているのかもしれません。
日本刀には、いろいろと恐ろしい話も多いです。
守ってくれる守刀もありますが、血の好きな危険な刀も多いです。
迷信と言う莫れです。

 

日本刀は、単なる武器や美術品だけではないのが、奥行きの深い精神世界があるように思えます。
よくあるような都市伝説ではありません。

 

日本刀の展示を見に行く時も、体調が悪い時は、控えて下さい。
私も、体調が良くないと、日本刀は見に行きません。
もちろん、触るのは御法度です。

 

何か英気を吸われますね。
日本刀あるあるかもしれません。

 

私の気力が続きそうなら、もうすこし、続きがあるやもしれません。
ご拝読ありがとさんです。

 

日々の暮らしの中、感謝して暮させてもらっています。
ありがたいです。
心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮したいです。

 

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

 

最後まで、風任せの帆かけ舟のような話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。