''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

京都国立博物館 海北友松展に、親子3人で行って来ました より。

今日は、朝から天気のいいゴールデンウィーク後半戦です。
朝のニュースから高速道路の渋滞の情報が流れていました。

我が家の今日の予定は、京都国立博物館の開館120周年記念 特別展覧会「海北友松」展でした。
すでに、午後5時少し前に帰って来たところです。

Eテレでも、新日曜美術館で特集を組まれていましたね。
5月21日までの予定が不透明なので、ゴールデンウィーク後半戦初日の今日に行って来ました。

もちろん、おけいはん(京阪電車)で行って来ました。
東山へは、船で行くのが、禅の達人ですが、私たち凡夫の親子3人は、京阪電車で向かいました。(笑)
なかなか道中は、車内も混みこみでしたね。
少し疲れましたが、どうしても、今日は、「海北友松」展に行きたかったです。
イメージ 1

先日のニュースで、入場者数が5万人を超えたと言うことでしたが、特に並ぶことなく、見ることが出来ました。
我が家のゆうゆうにしては、京都国立博物館デビューです。
すでに、大阪市歴史博物館は、いっていますから、安心でした。

とは言え、入場する際に、ベビーカーや就学前の幼児は、入園できないのかと不安でしたが、問題なく鑑賞することは出来ました。
さすがに、ペットの入館はダメです。
音楽のイベントなら、だめかもしれませんが、今回の展覧会には、ゆうゆうも静かに鑑賞していたはずです。

静かにはしていましたが、興味がないのかも知れません。
でも、小さい時から、静かに出来る習慣は必要です。
途中で泣くこともなく、1時間半ほどの時間を、親子3人で鑑賞です。

嫁との曰くのある京都国立博物館です。
最初に、嫁と待ち合わせしたのが、ここの博物館行きを一緒にしたことから、我が家の歴史が始まりました。
このブログを通じて知り合いましたので、顔も知りませんでしたからね。

京阪七条の駅で待ち合わせして、ここにやって来ましたからね。
懐かしい話です。
確かに2010年の1月の事です。

いろいろあって、私が京都伏見から大阪にやって来て、式を挙げて一緒に生活して、子供が授かって、そして、現在に至るです。
深い話です。

海北友松と言えば、私の中では、武士の家に生まれて、戦国を生き抜いた絵師と言う感じが強いです。
もちろん、武術の方も、槍を持って、武将にもなれた資質がある方ですね。
戦国武将との繋がりも深いですね。

寺院とのつながりがあったと言うのも、現在に多くの作品が寺院に残った事に寄ります。
一番有名なのは、今回の展示にもありましたが、龍ですね。
建仁寺雲龍図は、迫力がありましたね。
また、晩年の雲龍図も展示がありましたが、私の中では、勢いのあるのは、建仁寺雲龍図の方です。

今回の展示にはありませんでしたが、海北友松が描いた唯一の聚楽第の姿は、歴史的資料としての価値は高いと思いますね。

歴史の中では、一時の瞬間ほど、秀吉が完成された聚楽第ですが、資料が極めて薄くなかったです。
中京区の地名にも、聚楽第を思わせる聚楽と言う文字はありますが、最近まで詳しい場所が特定できなかったと聞きます。

今でも黒田如水の屋敷があったと思われる場所が地名に残っています。
しかし、場所の特定が出来なかったと言うから、正確な規模とかが把握できないのが歴史の真実です。

資料がないと言うのが、致命的です。
そんな資料としての価値を、海北友松に見ることが出来ます。
海北友松と言えば、余白の使い方が独特です。
あの時代にあって、師の狩野永徳から離れて完成できた友松様式に、独特の香りを感じます。

少しだけ文化的でアカデミックな時間を、親子3人で過ごせました。
ゆうゆうに至っては、初めての京都で、京都デビューとなりました。
海北友松展の後は、私たち夫婦にとっても、特別な場所、女坂のレストラン里で、親子3人で食事をしました。
これは後日の記事とさせて頂きます。

日々感謝して暮らせてもらっています。
平穏無事に過ごせますように、神仏に祈るばかりです。
ありがとさんです。