''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

本麒麟を飲んでみました より。

今日の午前中に、2歳児ゆうゆうを連れて、二人で自転車で散策に向かいました。
東成区の今里付近に向かいました。

 

それは、前々から気になっていた今里一番街神路商店から平野川分水路を挟んで神路本通り商店街の長いアーケードのある商店街を散策してみたかったからです。
もちろん、この暑さでも日除けのアーケードがあって、子供連れでも安心して時間を過ごせますからね。

 

最近のあるネタで、今里付近が大注目されているようだと聞きます。
今回の商店街は、大阪メトロの今里駅の近くです。
大阪メトロの今里線と千日前線の二線に繋がっています。
こちらは、東成区ですね。

 

情報番組で注目されているのは、近鉄の今里駅の方らしいです。
あちらは、生野区だと聞きます。
同じように地名でも、区が違うと言うのに、少し驚きます。
地理感が無い分、いろいろと勉強になります。

 

大きな道を散策するのでなく、アーケードのある商店街ですから、何となく庶民感があって好きになりました。
もちろん、シャッターの閉まった店舗も多いですが、揚げ物や焼そばなど、ちょっと小遣いで買って、近く公園のベンチでも腰掛けて、食べたくなります。

 

これだけ暑いとなると、呑みたくもありますよ。
子供連れですから、何かあっては大変ですから、飲むことは出来ません。
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昨晩飲んだキリンの本麒麟です。
テレビのCMで、俳優の江口洋介さんがされているので、一度飲んでみたいと思っていたんです。
ただ、淡麗ダブルを愛飲している私の口には、合わないです。
ビールっぽい味が、好みではないだけです。

 

あのCMを見て、飲んだ感想を聞くと、うーんと思いますね。
先日のテレビ番組で、動物園にいるあのキリンは、想像上の麒麟のイメージから付けられた和名と聞いて、納得させられました。
やはり、関係があったんだと、安堵です。
その漢字麒麟と言えば、ラベルになっている麒麟ビール代名詞です。

 

それなのに、ドラフトビールなのに、ラガービール命名しちゃう経営陣の無謀ぶりですね。
売れたら何でもいいという発想が、麒麟ビールの凋落の原因だと思われます。
もちろん、ビールと発泡酒を含めれば、まだまだ首位を走るメーカーでしょうが、ビールと言う分野では、何か不信感が募ります。

 

昔の麒麟ラガービールは、美味かったです。
食事にも、飲みモノ単体としても、完成度が高かったです。
当時、いい飲み屋に行けば、かならず麒麟ラガービールが出て来ましたね。

 

サッポロの黒生を愛飲する人も多かったですが、休日の昼飲みなら、麒麟ラガービールに外れはなかったです。
それが時の流れで、「生ビール」が受けると、そちらの流れに多くの人が流れたのも事実です。
まさか、生ブームの乗って、ラガービールの名前まで流されるとは、驚きました。

 

確かに、生ビールはビアホールか、サパーのあるお店でしか飲めなかったですからね。
それが、手軽に燗ビールで飲めるんですから、流行った気も分かります。
また、当時は1リットル缶のビールもありましたからね。

 

それに、樽タイプのピヨピヨって鳴るタイプのビールもありましたからね。
あの辺りから、家でも生の時代になったように思えます。
生ビールは口当たりがいい分、味は二の次の感じがありました。
その意味からも、当時の麒麟ラガービールの完成度が高かった分、残念でしたかありませんでした。

 

最近は、客も食事のマナーを知らない方が多いのも、事実です。
料亭の個室で、会席料理を食べていた、生ビールを頼む方が居たのには、少し前まで驚きでした。
お店も、お客の要望があれば、高値で生ビールが出せるなら、出すと思います。
ただ、美味しくはないと思います。

 

上座下座を重んじる接待に使うように場所で、瓶ビールでお注ぎするのは、常識ですからね。
ラベルは上にして、両手を添えて、お注ぎするのは、接待のマナーです。
その筋の方は、右手で瓶の下を握り、左手の人差し指と、中指の二本を瓶の首に添えて、両手で注ぐのがマナーと聞きます。

 

生ビールのグラスなら、ビールをお注ぎすることは出来ません。
相手のビールお注ぎは受けないと言っているのと、同じです。
また、綺麗どころのお酌も受けられません。

 

それじゃと、日本酒かと言えば、そうでもないみたいです。
不思議な接待になると思うんですけどね。

 

「お一つお願いします」とビールでお酌するする所から、話は進むと思うんですけどね。
客や上司を上座に鎮座させて、「お一つお願いします」で、はっきりと上下関係を確認するところから、この手の接待は、話が成立するように思えます。

 

それじゃ、美味い寿司屋か和食屋のように、横並びのカウンターでいいじゃないですからね。
本当に美味しい食べ物を接待にするなら、そうなります。

 

過去の日本の外交上でも、使われた手です。
料亭の個室上座下座に分かれて、テーブルを対面すると緊張しますが、上下のない隣席なら、相手の顔や目を見ずに済むので、お互い緊張せずに気楽に話せます。
かの総理・吉田茂も、外国高官の接待には、銀座の天ぷら屋の横並び席を使ったといいますからね。

 

形だけでも、席に上下を付けて、金銭の授受をして貰えないと、居合道のように、八段には慣れないわけですよ。
金銭の授受は、相手に対する敬意の現れでもあります。
かの今太閤言われた田中角栄氏は、金銭の授受は、貰って頂くようにと気を使わないと、生きたお金の使い方にならないと言ったと聞きます。

 

上座下座などの着座位置は、自分の現在の立場の現れと、確認作業ですからね。
人を介さず、自分で手渡しするのが、常識です。
バカな銀行振込などすれば、金銭の授受の証拠を残します。
人を介せば、金銭の一部を抜かれて渡されるのは、常の事です。

 

居合道などと、道を付けても、人の道にあらず、外道の道だったのでしょう。
江戸時代も、太平の世になると、居合は卑怯な真似と、揶揄された事もありました。
その点、幕末などには、居合の抜刀で、暗殺すれば、需要が出てくるのも、物悲しいものであります。

 

居合抜刀と言えば、私の中では、田宮流がまず頭に思い浮かびます。
田宮流とは、居合の始祖と言われる林崎甚助重信の高弟の一人、田宮平兵衛重正が開いた居合と剣術の流派と聞きます。

 

今の田宮の流儀は、すべては「型」からはじまると聞きますね。
ホームページでは、勝敗・優劣を争わないと記されて、経験・年齢・性別・体力に関わらず、金銭がさえあれば、誰でも段位などの名誉が手に入るかのようにも聞こえます。

 

今回の告発で、それらが、証明されただけですね。
それは「道」ではないと感じます。

 

江戸時代の後期、天保12年(1841年)、旗本の窪田清音が田宮流居合を将軍・徳川家慶に上覧したとの記録があるようです。
あれ?、旗本の窪田清音と言えば、確か見覚えがあります。

 

「四谷正宗」と称された、あの源清麿から贈られた2尺6寸の刀に、「(表)為窪田清音君 山浦環源清麿製、(裏)弘化丙午年八月日」の銘があり、この刀は国の重要美術品に認定されていますね。
『新・日本名刀100選』佐藤寒山著 秋田書店のNO98の掲載されていますね。

 

その内、ワンピースのワノ国で、清麿(キヨマロ)の刀の名前も出て来るかもです。(正確には、「すがまろ」と呼ぶようですが、世間でもキヨマロと呼ばれていますね)
最上大業物、大業物、良業物の辺りなら、面白いかもです。

 

清麿自体、「懐宝剣尺」を表した後の生まれなので、入っては居ませんが、そうとう切れる刀だと推測されます。
評価値は、1,800万円なので、虎徹、堀広、真改、助広、忠吉等の最高値ですから、同等となれば、最上大業物、大業物、に並ぶと言う事でしょう。

 

本物は、凄いですよ。
麒麟も、本麒麟と言うなら、味もそれに近づけて貰いたかったですね。
発泡酒の本当のビールより、飲み易いと言うのが、最近の私の味の意見です。
基本痛風患者ですから、プリン体がゼロの発泡酒がありがたいです。

 

久しぶりのビールを飲むと、甘いと感じることがあります。
キレも薄いです。
時代や流れもありますので、それでもいいと思いますが、本物の本を付けるなら、それなりの世間からの評価があっても良さそうなものです。

 

私は、麒麟の淡麗ダブルが晩酌にあります。
ありがたいことです。

 

日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。



 

新・日本名刀100選の「し」https://blogs.yahoo.co.jp/kantoshoue/40522979.html