''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

金のわらじ

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ことわざで、1つ年上の女房は金のわらじを履いてでも探せとか、これに類する似たような言い回しは多いですよね。

きのう、バラエティー番組の『ヘキサゴン』(再放送)を見ていてこれが出た。当然知ってします。でも、「きん」と読むと思っていました。「かね」と読むのが本当だと言うことを知りました。

無知でした。

でも、「金」を「きん」「かね」と読むかで意味合いが大変変わるように思うんです。「きん」ならよりいっそうそれ以上の価値がある。大枚をはたいても、充分価値がある。そんな意味になります。しかし、「かね」というなら、それ程簡単には探し出せない鉄のわらじが磨り減るくらい探してもなかなかお目にかかれない。そういう意味合いになると思うんです。

ことわざとしてそこに隠されているものが汲み取れない。一つ年上の女性ならいっぱいおられます。それをわざわざ時間と労力を掛けて探すんですから何かあるように思えます。

どちらの意味で使われているのか他の人の意見を見ても曖昧です。「きん」の方がどちらかというとしっくり着ます。気の性でしょうかね

こんなのは世の中にいっぱいあります。弘法大師が使われることわざがありますよね。
「弘法にも筆の誤り」でも世の中では「弘法も筆の誤り」と言われることがあります。「に」が付くとよりあの弘法大使さまでさえもと強調されることになります。
由来は多くのサイトで紹介されていますが、簡単に紹介します。

空海(弘法大師は亡くなってからの贈名)が勅命によって、京の「応天門」に掲げる額の文字を書くことになりました。 額に「応天門」と書き上げ、この門に設置したのです。しかし、よく見ると「応天門」の「応」の字の「心」という部分に点が1つ足りません。空海は、何事も無かった様に筆を投げつけてこの門の額が「応天門」が完成したというのが逸話です。本当なのか嘘なのか定かではありません。

中国に同じような話があります。「雲林禅寺」本当は「霊林禅寺」という寺でしたでしょうが、高僧が書き誤ったので今でもそのままに間違ったままの額が上がっています。私も見ましたがよく分かりませんでした。ガイドの話だったので真否の程は分かりません。

多くのサイト「弘法も筆の誤り」と書かれています。「にも」も知って頂いたら光栄です。辞書で引かれるといいでしょう。

また、一つ賢くなったことに「感謝」です。