''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

お釈迦さまの子供 羅睺羅「らごら」

ちょうど今日はこどもの日です。子供の成長を社会が祝う日でもあります。端午の節句です。

最近は、子供に対する大人の犯罪が多いです。それも身内に対する罪が社会現象とされています。悲しいことです。

ときに、親が偉大すぎると子供はそのプレッシャーから本来の力を出すことができません。野球しかり、芸能しかり、政治しかりです。二世が悪いわけではありません。しかし、二代目に対する対応はさまざまです。

お釈迦様にも子供がおいでです。あまり知られていませんが、3人おいでです。すべて母親が違います。お釈迦様が出家される前つまり、皇太子時代に三人のお后(きさき)がおいででした。それぞれに子がおり、3人と言うわけです。すべて出家されて仏の待者となった聞きます。事実かどうか伝承によってもいろいろ有るようです。

でも、十大弟子 (じゅうだいでし)の1人の羅睺羅(らごら)は実子です。これは間違いないと思います。蜜行第一とされ、また学を好むことから学習第一とも称せられています。

仏画十大弟子 (じゅうだいでし)よくかかれますが、黒っぽい顔色で眉毛のごわごわしたような容姿に描かれています。すぐに判りますよ。これが羅睺羅(らごら)です。

十大弟子 (じゅうだいでし)で長老の舎利弗(りゃりほつ)に就いて修行しました。しかし、当初はお釈迦様の子ということもあり特別扱いを受ける事もあったようです。また、親の偉大さからプレッシャーが重荷に感じたこともあったようですが、よく制戒を守り多くの比丘(びく)にも敬われるようになりました。彼は不言実行をモットとして密行をやり遂げ、「密行第一」と称せられました。

並大抵の苦労ではなかったことの察しが付きます。ちゃんとやって当たり前、出来が悪いと陰口たたれ、いつも親と比べられます。でも、それを承知で仏の道に入ったのでしょうから仕方がないとしか言えません。それだけに余りある苦労です。

あるときその自爆から解き放たれたんじゃないかと思うんです。自分は自分であると自己に目覚めたと思うんです。そうしたことによって、周りの雑音が聞こえなくなったと思います。なにがそうさせたのか判りません。

お釈迦様に諭されたことでないことは判ります。自分が自分と向き合った。自分の内面の中に何かを見つけたんでしょう。自分の存在(天命)でしょうか?
人が変ったように勉学に励みます。先程の「学習第一」と言われたんです。

もちろん、仏の悟りを開かれました。次の来世には、蹈七寳華如来(とうななほうけにょらい)という仏様になることをお釈迦様から授記(予言)されます。 (妙法蓮華経授学無学人記品第九)  ちょっと難しげな話でした。

子供には無限の可能性があります。末は博士か大臣か、未知数です。博士でも大臣でも悪さをします。罰を受けることもあります。でも、病気もせず元気で過ごしてくれることにこした事はありません。幸せじゃないですか?
今日一日あったことを、家族で夕飯を食べながら話をする。子供の話を聞いてやる。

子供が何年何組で、担任の先生が誰なのか、子供の友達の名前を3人言えれば親として充分です。そう思いませんか?

食卓のおかずが「生姜焼き」が、「ステーキ」になっても食卓の和は同じですよ。木の卓袱台が大理石のテーブルになっても家族の和は同じです。

最近これが足りないんじゃないでしょうか?

しあわせとは、特別なものでなく、まさしく「ちび丸子ちゃん」や「サザエさん」のような食卓の和があるかどうかです。私はそう思っています。

原油高騰のおり、外出もいいですが、今日は子供と一緒に「餃子」でも作って食べてみてはどうですか?
絶対に安全ですし、ご飯もビールもすすみますよ。

「餃子」はゲンのいい食べ物です。お祝い事によく食べられます。中国語で「チャオズ」と発音しますが、この音には子供が授かるという意味があります。ちょうど「子供の日」にはぴったりの食べ物です。

今日も家族が元気で過ごせますことに「感謝」です。
今日は子供が主人公ですよ。「忍耐」が必要です。「感謝」の気持ちで乗り越えてください。