''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

清水寺参道 夢二の夢の址

竹久夢二は、大正から昭和の初めてかけて活躍した画家です。一度はその作品に眼を留められたことがあるはずです。着物を着たちっょとアニメチックと言うか幻想的な絵は心に留まります。ちっょと好きな画家でもあります。

 

夢二の才能は日本画、水彩画、油絵、木版画などの絵画だけでなく、夢二意匠による小物類のデザインや挿絵まで幅広く活躍します。総合的なビジュアルプロデューサーでもあったわけです。

 

大正3年には日本橋に「港屋絵草紙店」を開店、夢二プロデュースの小物類が販売され、当時の東京名所の一つと揶揄されました。

 

その才能は、詩や童謡など音楽、文芸面においても発揮した。大正に大流行した「宵待草」は夢二の作詞によるものである。いまでもこの曲を聴くことがあります。すこし、もの悲しい独特の雰囲気です。しかし、心地よい詞と曲です。大正を代表するような曲とも言えます。

 

「宵待草(よいまちぐさ)」

竹久夢二作詞・多忠亮(おおのただすけ)作曲

 

   待てど 暮らせど
   こぬひとを
   宵待草の
   やるせなさ
   こよいは月も
   出ぬそうな
http://jp.youtube.com/v/1sfZDWse0Lg
どことなく、「ぼくはそう思うんだ」的な中原中也にもイメージが被(かぶ)ります。
絵画の世界からもそう分かるような気がします。
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この活躍最中に、最愛の女性「笠井彦乃」とめぐり合い、恋に落ちます。親の認めない許されないことでした。
二人して駆け落ちを行います。その地がこの清水さん参道の二年坂(二寧坂)から三年坂(三寧坂)のあたりです。現在、甘党の店になっています。二人にちなんだメニューもあるようです。
中年男一人が入るには気が進みません。甘党の私としては一向に構いませんがね。
小さな石碑と解説板が立てられています。
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波乱に富んだ人生を急ぎばやに進み、大正ロマンを象徴する存在として今も多くの作品を私たちに残しています。、現代においてもその軌跡は注目されている。

 

昭和9年9月1日没。49歳11ヶ月の少し短い生涯を閉じました。

 

清水さんへの参道である二年坂、三年坂は、当時今ほど賑やかではありませんでした。
この道の歴史にも、浮き沈みがあります。大正期には人通りもすくなく少し寂(さび)れていました。そのために身を隠すために、ここに移り住んだんだと考えます。人通りが激しいとすぐに見つかってしまいますからね。この道を一筋入れば今でも長屋があります。観光地でない昭和の長屋です。

 

また、車での参詣が大きく変化を速めます。坂には魅力が薄かったです。車も入れません。保存の活動により、現在の賑わいがあります。それが良かったのか悪かったのか私には分かりませんが、非日常的な観光地としての京都がここにあります。

 

そんなこととはつゆ知らず、大正期、夢二と彦乃の二人にとってもっとも充実した時間がここにつまっています。平日なら夢二が見た路地の風景と出会えるのかもしれません。

 

心穏やかな時間を過ごせています。感謝ですね。日頃のストレスも減りつつあります。
つたない一人歩きの京都東山レポートでした。

 

最後までお付き合い下さいまして本当にありがとさんです。
皆さんがすこしでも癒されることを切に希望します。