''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

祇園 花見小路より 「里景色」

京都四条より下(しも)は、料理屋さんが多いです。お茶屋さんも多いです。
大変京都らしいところです。ここは花見小路です。この通りのドンツキ(突き当たり)が建仁寺さんです。双龍図で有名です。お茶の発祥のお寺です。広大な敷地の散策もワクワク感もありますよ。
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路地も皆さんのイメージされる京都らしさでいっぱいです。
ちっょと覗いてみたくなりますね。
通りにはプレートが埋め込まれています。これで道も迷いません。
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芝居の仮名手本忠臣蔵では、大石内蔵助(芝居では大星由良助)が遊興したのは、祇園一力茶屋という想定になっています。
内蔵助が一力茶屋で行っていたような事実はないと聞いています。しかし、実際は伏見墨染の撞木(しゅもく)町の萬屋でありました。こちらは現在、石碑が建っています。地図を手にこの石碑を訪ねて来られます。
内蔵助の住まいの山科と墨染は山ひとつ超えたところに有ります。
島原や祇園よりは、お値段も手頃だったと思います。

 

「一力茶屋」(いちりきちゃや)
 この有名な「一力茶屋」は、もともと「万屋」という屋号でしたが後に「万」の字を「一」と「力」の2つに分け「一力」に変えたようです。明治以降の話だと聞いております。
 玄関の門には「万」の字の暖簾が架かっています。
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大石内蔵助と言えば、『里景色』地歌で有名です。内蔵助が即興で書いた歌に、店の主人が即興でつけた曲が入りました。歌の才を感じます。

 

この中に「こぼれて袖につらき よすがうきつとめ」という一節があります。これを持って内蔵助を「浮きさま」と呼んでいたようです。
艶っぽいさがこの歌にはあります。

 

「更けて郭のよそい見れば・・・・」全文すこしうる覚えなので話だけです。

 

歌の内容を簡単に言えば、郭の町も更けてくるとそこで働く女たちは悲哀を歌います。
こころの中の思い人とは別の客を曳く、郭女のつらさがそこにはあります。
そういう女性目線の歌です。
これに三味線が入ります。心に涙がハラハラします。
男性としては戦意喪失ですがね。
内蔵助にはこうした細やかな情があったのかもしれません。

 

それとは別にいまでも舞妓さん、芸子さんをお見かけします。
厳しい芸道の中においでです。微かに三味線の音がこぼれます。
今日も祇園の夜は更けて生きます。
雨降りの花町も情緒がいっぱいです。

 

秋の京都に多くの方がおいでになります。
人それぞれの秋の京都を楽しんでください。

 

つたないブログの記事を最後まで読んで頂けたことに感謝します。
おおきに。ありがとさんです。