何やら嫁の手元にカードが見えます。
それは何かと尋ねたら、「QUOカード500」。
コンビニで、夏場の暑い時に、冷たい飲み物が買えます。
ありがたいことです。
何故、手元に届いたと聞けば、とある銀行のアンケートに答えたお礼との事です。
一言答えて、500円なら、何とも率がいいです。
いろいろと日々いろいろと耐えてのご褒美かもしれません。
俗世では、「ならぬ堪忍するが堪忍」とか、「奈良の神主、駿河の神主」とか言う類ですね。
それなら、落語の「天災」の中で、心学の紅羅坊奈丸が言うセリフを思い出します。
「堪忍のなる堪忍は誰もする、ならぬ堪忍、するが堪忍。堪忍の袋を常に掛け通し、破れたら縫え、破れたら縫え」などの格言を言って諭すシーンです。
「お分かりかなぁ?」
この長雨の豪雨で、九州でも本州でも、豪雨による災害が発生しています。
他人事ではありません。
その分、災害に備えないといけないと、肝に銘じています。
これ以上被害が拡大しないことと、被災地が一日も早く復興復旧しますことをお祈ります。
少しでも、九州の物産を購入して、支援したいですね。
とりあえず、今は耐える時です。
政府もすぐに支援と対策を講ずるべきです。
それに、コロナの感染拡大の密を回避出来ると、更にいいと思います。
耐えると言えば、YouTubeの動画で、人間国宝 神田 松鯉 師匠の講談『水戸黄門記より 出世の高松』を観ました。
いつもの口調に引き込まれる講談です。
お得意の水戸黄門の講談ですが、黄門様は主人公ではありません。
そうそう、頼房の長男、光圀の兄上様です。
後の讃岐国高松藩12万石初代藩主 松平 頼重(まつだいら よりしげ)、官位は、従四位上・左近衛権少将、讃岐守です。
御落胤の証に、書付、備前友成の短刀、香と香入を添えて、小石川の江戸上屋敷の申し出ます。
ただ、講談の方では、すでに母無くなっていますが、史実の方では、水戸黄門こと2代藩主徳川光圀の同母兄ですから、母は同じですね。
そうなると、大坂での長屋暮らしも、作り話ですね。
もともと身分の低いので、正室を公家から迎える前に、すでに子供があったとなれば、縁談に差支えがあったのでしょう。
とは言え、母上の久昌院も、水戸藩初代藩主・徳川頼房の側室です。
とは言え、本来なら、兄が水戸家を継ぐのに、故あって弟の光圀が後を継いだことになります。その上で、自分の子供を兄の養子にして、兄の子供を自分の養子にして、水戸家を兄の子供に継がせます。
なかなかの苦労人であったのは事実です。
講談の中で、光圀公の歌が添えられます。
ただ見れば なんの苦もなき 水鳥の 足に暇なき 我が思いかな
by 水戸光圀
( 「見ればただ」と書かれているものもありますが、講談の中では、「ただ見れば」と述べられていましたので、こちらを書いています。)
その意味は、一見すれば、水に浮かぶ鳥はなんの苦もないように泳いでいる。それと同じように、他人から見ればのんきそうに見えるけど、実は自分は大変なのだ。
水鳥は、何気なく、すいすいと水面に遊んで浮いているように思える。
でも、それに反して、水面下では足をひっきりなしに動かして、本当は見ない所で苦労している。
他人のやっている事は、気楽で簡単にそうに見えるもの。
しかし、実際自分でやって見ると、簡単に出来ないのが世の中の常ですよね。
自分がやってみて、初めてその大変さが分かるもの。
なかなか意味深いです。
まさに人生訓ですね。
しみじみと味わいます。
隣の家の芝生は青いと感じるモノです。
我が家も貧家ながら、嫁と子供と私の3人暮らしをさせてもらっています。
嫁の力量の大きさゆえに、成り立ったていることは、合点承知の助です。
ありがたいと感謝しています。
親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。