寒さも増して来たと言えば、年末の師走のイメージです。
昭和の名曲『北の宿から』(作詞:阿久悠 作曲:小林亜星 )の歌詞を思い出します。
♪ あなた変わりはないですか 日ごと寒さがつのります 着てはもらえぬセーターを 寒さこらえて編んでます~
そして、子供の頃は、師走の大晦日に、レコード大賞と、続いて紅白が続いていたものです。
コタツに入って、みかんを食べて、年越しのそばを食って、家の近くのお寺の除夜の鐘を聞きながら、テレビでは、ゆく年くる年の番組の中、深々と音もなく降る雪の中、永平寺とは有名な山深い寺院の鐘の音が響いていました。
この日くらいは、子供でもその時間まで起きていたも良かった時代です。
伏見に住まいして居た頃には、除夜の鐘を突きに並び、振舞いの温かいモノの口にして、そのまま伏見稲荷の山にお参りされる方もあった。
私は、その参道の道すがらに、家がありましたので、この伏見稲荷の人ごみに行くことは、しなかったです。
正月の3日頃に、散歩がてらに伏見稲荷を参拝して、それも裏口から回ると、並ばずに本殿にイケましたよ。
裏口と言っても、日大の方ではありません。
裏口から行けば、千本鳥居の所の入り口にも、並ばずに行けました。
裏口と言えば、狐穴がお産場稲荷の方から行くと、頂上近くの四つ辻に行く裏道がありましたので、こちらを使うと30~40分ほどあれば、稲荷山を登れました。
その奥には、自動車で上がれる秘密の道があります。
とりあえず、正月は、本殿近くに行って、雰囲気を味わって、骨董市を除いて、おでんと燗酒を頂いて、帰路についていました。
おでんと燗酒で、とりあえず千円と言う時代です。
正直美味くはないです。
でも、まだ正直な商売をされていましたからね。
忙しい時には、おでんも、燗酒も追いつきません。
とりあえず、毎年同じ露店でおでんと燗酒を頂いてました。
今は、参道が整備されて、自動車用になりましたし、今年のコロナで露店はないでしょうね。
寒いと聞けば、燗酒と関東煮(おでん)です。
家呑みばかリです。
宮城の知り合いから頂いた仙台麩も入れました。
仙台油麩を使った丼もなかなか美味いですね。
麩が出汁を吸って、美味くなります。
関西でも、丁子麩や車麩という使い方の分かりにくい麩もあります。
すき焼きに麩を入れるのは、関西でも定番です。
麩が旨味を吸って、頼もしい存在になります。
京都なら、湯葉とと言う手があります。
煮物にもいいし、くず湯葉なら、味噌汁に入れるのも美味いモノです。
小麦粉のグルテンが、いい仕事しています。
今回の関東煮(おでん)も、京風の色の薄い出汁の濃い味付けにしています。
これが日本酒にあいますね。
ありがたい年の背です。
「あした待たるるその寳船」
忠臣蔵の大高源吾と室井其角「両国橋の別れ」 ですね。
「子葉殿ではござらぬか」、其角が両国橋で声をかけます。
啜竹売りに身を変えていた源吾に声をかけたのです。
別れ際に其角から「年の瀬や水の流れも人の身も」と上の句を投げかけられて、発したのが「あした待たるるその寳船」です。
どこぞ仕官がかなったものと、思っていたのかもしれません。
講談でも、浪曲でも涙をそそります。
国破れて山河在り
城春にして草木深し
時に感じては花にも涙を濺(そそ)ぎ
別れを恨んでは鳥にも心を驚かす
杜甫の「春望」が過ぎりりましたね。
国(藩)は滅んでも、主君の仇を討たなくてはならないのが、武士(もののふ)です。
なかなか熱いですね。
講談や講談なら、ここで時間となりましたと、いつでも話を終えられますね。
家臣なら、吉良の首を挙げたないと終われませんからね。
親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。