''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

昭和風の家庭の玉子スライスサラダ トマト添え より。

台所の倉庫を見ていると、嫁の道具がいろいろあります。
型抜きもあって、あると便利な道具です。
その下に、玉子のスライサーがあります。
時折、茹で玉子を置いて、スライスして、サンドイッチに使ったりしています。


昭和の昔、家でのサラダと言えば、サラダの野菜盛に、ハムが盛れば、ハムサラダで、スライスの玉子が盛れば、玉子サラダと呼んでいたような気がします。

それが、時代と共に、玉子サラダは、茹で玉子をざっくりカットして、胡瓜や人参など野菜と合わせてモノが、玉子サラダに変化してきたような気がします。
シンプルなサラダが、私の子供頃に多かったです。

 


って言うか、日本の食卓にサラダの文化は無かったです。
生で食べる野菜と言えば、胡瓜とトマトくらいでしたね。
地面に接している野菜は、日本人は食べなかったです。
下肥に寄生虫(蟯虫)が居たからですね。


私の子供の頃に、サラダの食文化が広ま児始めたと思います。
とりあえず、サラダと言えば、キャベツの千切りに、胡瓜やトマトを添えられる時期だけ、添えたモノが多かったですからね。


トンカツ屋を思い出すとよく分かります。
昔の添え物の野菜と言えば、メインがキャベツでしたね。
それが、昭和40年代中期になると、レタスが登場してきました。
レタスが、サラダを変化させた大きな要因です。


小学校の給食のサラダも、カット野菜だけでした。
そこに、弁当用のマヨネーズか塩が付いていました。
当時、野菜嫌いの子供が多かったです。
特に、胡瓜は、苦手な同級生も多かった。
バッタになった気分だと言っていましたね。


私は、家で畑もあったので、胡瓜もトマトも茄子も、身近にあって、嫌いではなかったです。
むしろ、マヨネーズがあれば、問題なく生で食べることが出来ました。
それに、胡瓜にもろみを付けて食べるのも好きでしたね。
胡瓜の漬物も食べていましたよ。
時折、ロースハムが付けば、特別上等なハムサラダだと思い込んでいました。


人気の定番のポテトサラダも、スパサラも、マカロニサラダも、まだ家で作るモノでは無かった記憶です。
スーパーで買って来るイメージが強いですね。
給食でも、マカロニサラダが出て来るようになったのは、小学校3年生以降だと記憶しています。
スパサラやポテトサラダもそうでしたね。


野菜は、過熱された和え物や煮物が多かったと記憶しています。
でも、当時の給食は鯨肉が出ましたよ。
鯨肉のノルウェー風とか、名前を聞いても分からないでしょう。
味付けして鯨肉を揚げたモノに、ソースのようなモノが和えられていましたからね。
もちろん、家でも鯨肉の網焼きなんかも、お手伝いして作っていました。
懐かしい鯨肉の味です。


当時は、高級品ではなく、庶民の食べ物でしたからね。
我が家ではなかったですが、鯨肉のカレーもあったのは知っています。
少し低い扱いされやすい傾向がありましたね。
鯨肉の大和煮と言えば、缶詰の定番でしたからね。
今では、高級品です。


一時は、鯨肉を見る事すらなかった時代もありましたからね。
大人になって、鯨肉の尾の身の刺身は、生姜と相まって、これまた美味いです。
鯨のベーコンも、何度か食べた記憶があります。


日本の食文化も、私の子供の頃の昭和から見れば、令和は別の食文化みたいな気もします。
ハムと言っても、ハムの淵が赤いハムです。
生で食べるより、ハムエッグにして食べていたように思います。
あのハムは、不思議な事に、腐らないんですよ。
大変危険なモノを食べさせられていましたからね。


通称AF2と呼ばれる食品添加物が使われていた記憶です。
安全性に問題があるとされ、1970年代前半にその使用が社会問題化したため、1974年に使用が禁止されて、現在は使われていないされています。


私たちの子供の頃、危険な添加物が使われていましたよ。
それに、食品に賞味期限とか記載も、製造年月日も記載されていなかったです。
ですから、私たち世代は、今のシルバー世代よりも長生きできるような気がしません。
インスタントラーメンばかり食べさせられて大きくなってきました。


兎に角、私たちの80代以上の親世代は、共働きで、時間がなかった世代です。
当時社会現象だった、「カギっ子」も多かったです。
今考えると、怖い時代でしたね。
当時は、普通でしたからね。


ハムエッグ見ると、よく当時の事を思い出します。
同時に、サラダの盛りを見ると、いろいろと当時を思い出します。
レタスに、胡瓜に、トマト、ハムや玉子を盛ったモノが、サラダでしたね。
まだ、ましな方でした。
我が家は、朝夕に、家族で食事出来ただけでも、幸せな方でしたからね。


それが、今遅ればせながら、50歳にして、親に成って、隣で娘がサラダを食べています。
私が作るおかずサラダが多いです。
野菜盛だけのサラダは、滅多に作りません。
料理のお皿の添えのコールガローニーは別にしても、ドレッシングは掛けますからね。
メインの料理があって、千切りキャベツだけを、盛るようなことはしていません。
胡瓜やトマトなどの彩りのあるモノにするように工夫して、食事の担務をこなしています。


少し昭和を思い出して、ノスタルジックな玉子サラダを作った次第です。
昭和のサラダは、こんな感じでしたよ。
我が家だけかもしれません。
給食には、できなかったです。


親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。              
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