いつものように、夕刻8歳のゆうゆうと散歩に出かけました。
デスクの作業での私の健康管理にと、夕刻歩いています。
娘のゆうゆうもお付き合いしてくれます。
父と娘の貴重な時間です。
大変ありがたいことです。
ゆうゆうが大きくなって、子供の頃、夕刻父と散歩に行った良い記憶を持ってくれるとありがたいのですがね。
いつものように川沿いを歩きます。
そんな中、途中の道を横切って、少し歩くと、我が家の好きな餃子の京都王将があります。
関西人の中でも、王将には、大阪王将と京都王将の2種類があると言うのを知らない方が居られますが、済んだもんだあった末に、とりあえず、今の形態に分かれています。
どちらも食べたいことがありますが、やはり京都暮らしの長い私の中では、京都王将の味がしっくりきます。
スーパーの冷凍食材でも、大阪王将の商品を見かけますし、食べたこともあります。
とりあえず、散歩の途中で、生餃子の2人前買って来ました。
こちらが、メインの夕食のおかずではないので、おかずの一品として2人前で焼き餃子で十分です。
もちろん、焼き手は、父が勤めます。
京都王将の餃子は、味としてよく出来ています。
コスパがいいですね。
8歳児のゆうゆうも、ここの餃子は好きです。
いろいろと味については、自分の好みがしっかりとあります。
最も大切にしていることは、焼き餃子の皮が、パリパリしていることです。
もちろん、餡の中から、肉汁がたっぷりで美味いです。
2人前12個ですから、家族3人で分けると、1人前何個になるでしょう? と食べる時は、割り算を挟みます。
餃子は、焼き立てを食べます。
父は、諸事情により、その間にお風呂に入ります。
ゆうゆうに食べられるのかと心配しながら、お風呂タイムです。
発泡酒を用意して、残りの4つを頂きます。
風呂に入ってから、焼き餃子作ると、体に匂いが染み付きます。
フライパンで仕上げの作業が、これまた難しいです。
王将の生餃子から焼き餃子にするのは、なかなかのテクが必要です。
あくまでも、家の火力で作るのも、なかなか至難です。
何とか毎回のことだと思えば、何と言うこともありません。
「思えば」と言えば、平安時代の政治の実権を掌握していた藤原道長が詠んだ和歌「此の世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたる事も 無しと思へば」を思い出します。
凄い和歌ですね。
歴史の中で、幾多の大成功者が出て来れますが、なかなかまで言えないでしょう。
天下人近くに居た千利休居士の時世の狂歌とも言える中に、ある「思へば」もあります。
利休めは とかく果報のものぞかし 菅丞相になると思へば
これも意味が深いです。
いろんな偉人の思えばがありますからね。
私は、茶聖の利休でなく、お亀の父・利休の「おかめにおもいおく」は、娘を思う父の姿があったように感じます。
私の「思えば」なら、人生一生独身でこの世を終えるモノと思いながら、ふとしてことから、嫁と出会って一緒暮らし始めて、すぐに子が授かって、荒れよこれよと思えば、王将の生餃子を焼いている姿です。
人生、メッチャはしょったよなぁ。
中身の濃い私の親子の時間です。
「父、おいしいよ。また、餃子焼いて」って、執事扱いの悲しい言葉しか言いません。
それでも、最高の賛辞です。
ありがたいことです。
親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。
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