''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

伏見稲荷と忠臣蔵

12月も半ばを超えて、もう少しでクリスマス、すぐに大晦日、そして新しい年の始まりです。
お正月も間近です。今月サブテーマにも忠臣蔵持って来ました。
私が播州出身だからです。赤穂の出身ではありませんが、同郷の者としての誇りでもあります。

 

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伏見稲荷は、商売繁盛の神様として世間に知られていますが、もともとは五穀豊穣の神様です。お狐さんが、稲穂をくわえています。もともと渡来系の秦氏が持ち込んだとも聞きます。京都に太秦というところがありますが、ここはもともと秦氏の領地であったといいます。今の伏見稲荷は山すべてに神社が何万とあります。会社や個人の神社の集合体です。

 

ひとつの神社ではありません。一回りするのに数時間は優にかかります。簡単な一番見晴らしのいい四辻まででも1時間近くかかります。ここから一回りするのも一苦労です。
四辻の上には茶店があります。ここで名物のきつねうどん頂ながら、下の京都を一望することが出来ますよ。見晴らしのいいビューポイントです。隠れたビューポイントもあります。こちらは折があれば紹介します。

 

稲荷神社に正月の参拝はどえらい人の数です。その数は、全国で三本に入るほどですからる。
人人人です。満員電車並です。前にも後ろにも行きません。
JR稲荷駅から大鳥居、本殿までびっしりと人でいっぱいです。
おぞましい光景です。本殿まで一番込んでいるときは1時間以上かかります。普通なら3分ほどの距離です。
山の上まで人人の状態です。
大鳥居から本殿まで道の両側に屋台が並びます。

 

もともと、この伏見稲荷の山の敷地は、藤森神社の境内でした。だましとられたと言う言い分です。真偽の程は定かではありませんが、藤森神社の敷地内であったようです。
江戸時代『耳袋』という話しにも出てきます。江戸南町奉行根岸鎮衛が書き記したものです。伏見稲荷神社に関する不思議な話が出てきます。

 

伏見稲荷神社さんの周りには、伏見稲荷の氏子さんはいません。全くいません。ほとんどまわりすべてが藤森神社の氏子さんばかりです。この辺に先の話が生きてきます。

 

伏見稲荷は、空海とも東寺とも縁があります。東寺を作るのに木が足りず、この伏見稲荷の木を使ったことがあるらしいのです。神の領域の神木を切り出しました。そのため東寺の工事に事故が起こったようです。神の怒りに触れたからですね。このため空海伏見稲荷の和睦がありました。東寺も無事に完成です。

 

そのため、東寺近くの場所に、伏見稲荷のお旅所があります。お旅所とは旅から来た人が、ここで参拝のための身なりに整える休憩所です。今でもあります。1200年以上前の話です。

 

伏見稲荷豊川稲荷とは別の稲荷さんのようです。この辺はすこし勉強が必要です。
伏見稲荷というときつねです。狐が神さんと思っているようですが、神さんは、自然の空間です。人や物ではありません。おきつねさんは、眷属(けんぞく)、つまりお使者です。稲穂と巻物を一対のお狐さんが、神社の入り口にいます。この伏見山、霊山です。不思議なことがいっぱいあります。息吹を感じることがあります。本当です。

 

話は、忠臣蔵に戻ります。成功の影にいろいろな人物の協力があります。
吉良家の内部事情が必要です。それもいつ吉良上野介が屋敷に在宅しているのかが一番難しいからです。
襲撃備えて毎日居場所を定めていなかったようです。用心の為ですね。

 

そのため雪深い上杉の領地に逃げる手配を行っていました。そのためのお別れ会を含めた最後の江戸での茶会です。この日時がいつなのかが、最後のチャンスです。一度切りのチャンスです。この情報源をいくつも用意しています。その一つが大高源五でもありました。こちらは紹介済みです。

 

その他の情報源の一つに、羽倉斎(はぐらいつき)という人物がいます。
大石とは古い知己のようです。偶然、江戸で再会するというのです。羽倉斎は勅使の随行者として江戸にやって来てそのまま滞在していました。浪士の残した文献にも名前が出てくるので確かなようですね。

 

羽倉斎は、有名な国学者です。和歌の方でも有名です。吉良の家老、松原多仲もこの方のお弟子のようです。
ですから情報は入ってきます。羽倉斎は、赤穂びいきとは思いません。
国学者としての正義の理は、つまり筋は赤穂方にあるように思っていたと思います。
学者としての筋が影響しています。「私」でなく、「公」に傾いた結果でしょう。

 

伏見稲荷の大鳥居を越え、山門をくぐり本殿です。そこを少し南に行ったところにお屋敷があります。
ここが羽倉の屋敷跡の一部です。羽倉斎は伏見稲荷神職だったのです。
羽倉斎は、後の、荷田春満(かだの あずままろ)その人です。国学の大先生です。
(『忠臣蔵99の謎』立石優 PHP文庫を参照)

 

屋敷の西手に神社があります。伏見稲荷神社の敷地内です。
東丸神社があります。ここにお祀りされています。学問の神様です。

 

探して見ると京都と江戸と赤穂、別々のようですが、いろいろとつながっています。
伏見稲荷をそう思って見て下さい。

 

お正月、必ず伏見稲荷の映像が流れます。
みなさんでお集まりの折は、こんな小話を胸の小箱から引き出して「おー」っと尊敬の眼差しで見てもらえるチャンスですよ。一斉に言うのは辞めましょうね。まずは、ネットで検索、お勉強してからですよ。

 

忠臣蔵からもいろいろ学べたことに感謝です。ご縁の大切さにも感謝です。
ありがたいです。

 

最後までお付き合い下さいましてありがとさんです。