''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

藤ノ森の神事

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藤森神社の火焚祭の火焚木です。
神饌初穂は、気持ちだけさせて致しました。
「え」の落款は、私の手作りです。
お手持ちの皆さんも、書や絵に写真に、よかったら使ってくださいね。

藤森神社と言えば、馬の神社さんとして有名です。
競馬関係者の奉納も多いです。
確か武豊騎手の奉納もあったように思います。
もちろん、淀の競馬場からも近いの、勝機と安全を祈っての参拝です。

私もこの神様の領域に住まいします。
氏子と言うことになります。
もともと、馬の神様ではありません。

学問の神様です。
学問の神様と言えば、天神様ですね。
菅原道真公です。

しかし、山城の国で、学問の神様と言われると何を於いても、この藤森神社です。
日本書紀の編者で、日本最初の学者、舎人親王(とねりのしんのう)を御神体のお一人としてお祭しています。

由緒
1800前の神功皇后により創建された皇室ともゆかりのある古い神社です。
また、菖蒲の節句発祥の神社として有名です。
今日では、先にも書きましたように、勝運と馬の神様として競馬関係者や競馬ファンの参詣を受けています。(藤森神社ホームページより参照)

御神体
本殿中央(中座)御祭神は素盞鳴命、別雷命、日本武尊応神天皇仁徳天皇神功皇后武内宿禰の七柱。
本殿東殿(東座)御祭神は舎人親王天武天皇の二柱。
本殿西殿(西座)御祭神は早良親王、伊豫親王井上内親王の三柱。
(藤森神社ホームページより参照)

もちろん、宮司さんのお名前は、藤森さんです。
凄いです。
あじさいのきれいな神社としても有名です。

しかし、駈馬神事(かけうましんじ)としての方が有名です。
馬を神社の境内で走らせます。
物凄いです。

目の前を馬が疾走します。
右も左も人だらけの中、馬が走ります。
馬も大興奮です。

人の群れに飛び込むこともよくあります。
ものすごい危険なこともあります。
馬の興奮度によって中止になることもあります。

私がもう少し若いとき見に行った時は、馬に乗ったまま馬上で、書をしたためられていました。
それも「馬」の崩しの字体が多かったです。
それでも凄いです。
拍手喝采です。

この馬の神事も、明治近くまで本町通りの旧の街道で行われていたとも聞きます。
この街道を通って、ハッパカ・ハッパカ、鞍馬天狗(架空)も馬で伏見に向かっていました。

坂本龍馬桂小五郎もです。
目に浮かぶようです。
街道今も本町通りとして、七条、五条、祇園に通じています。
町並みも昔の面影も残しています。

この様な催しと菖蒲から尚武、そして勝負に変じて、馬の神様にとその姿が変わってきました。
武運長久の神様でもあった訳です。

江戸時代、南町奉行をしていた根岸鎮衛が記した随筆集、『耳袋(耳嚢)』の中にも、この藤森神社と伏見稲荷神社の関係が記されていたと記憶しています。
伏見稲荷の不思議な話が多く載っています。

その中に、伏見稲荷神社は、もともと藤森神社の境内であったというのです。
稲荷の神さんが、少し土地を貸して欲しいと願い出た。
手に握る稲穂を植えたいと申し出たのです。

快く貸したものが、見る見る稲穂が豊作になって、そのままあえなく乗っ取りです。
よくある話です。

今でも稲荷神社付近には、伏見稲荷の氏子さんは居ません。
伏見稲荷の周りとほとんど藤森神社さんの氏子です。
ですから、お祭も伏見稲荷神社の前を通ります。

その時「土地返せ」と言うような内容らしいです。
実際に言っているとこは、見たことがないです。

伏見稲荷も「宮司は留守」と居留守を使うとも聞いたことがあります。
祭では、行事の一環として言うらしいです。

真偽の程は、実際聞いてみない分かりません。
私は、実際聞いたことがないです。
お恥かしいです。

伏見稲荷のお山も何度か紹介していますが、間違いなく霊山です。
息遣いというか、生命の息吹を感じます。
これは本当です。
東山36峰の最後の山です。

神も仏もこの世に存在します。
神と仏は、異なる世界で存在しています。

仏の世界は、自然であり、宇宙であります。
その中に、神の神域も存在します。

ですから、神と仏は、神仏と言って一つの言葉を成しています。
神は、その土地においでです。
その土地をお守り下さっています。

私もその恩恵に与かっています。
ありがたいと感謝しています。
日本は、八百万(やおよろず)の神さまがおいでです。

物にも場所にも、あらゆる場所に神はおいでです。
けがしてはなりません。
汚してはなりません。

あなたには見えないだけです。
神と仏も見えるものでなく、感じるものかもしれません。
ご守護して頂いていると感じます。
ありがたいと感謝しています。

今一度、今ある無事は、偶然の偶然ではありません。
必然として、守護されています。
ありがたいと感謝できる時、神仏の存在を感じます。

今日も一日平穏無事を祈ります。

最後までお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。