''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

吉良様へ。本日、深夜に討ち入ります。

極月半ばの14日、本所松坂町のお屋敷です。
しかし、正確には、松坂町は道を隔てた町名です。
ですから、正確には本所のお屋敷です。

隅田川を渡って、最近開かれた分譲地のようなものです。
まだまだ屋敷もそれ程なかったようです。
最近、引っ越してきました。

事件後、吉良上野介殿がお役御免になります。
3月26日のことです。
屋敷替えの決定は、8月19日です。

前のお屋敷は、呉服橋の近くです。
お城の近くの一等地ですよね。
正しくお城の中と言ってもいい過ぎではないです。

さすがに、この屋敷なら、討ち入りは無理です。
深夜に47人も徘徊できません。
木戸も閉まってからでは、入城できません。

幾つもの警備を潜り抜けないといけません。
8月の屋敷替えの命令を受けてから、住めるように改築しました。

前は、松平登之助(のぼりのすけ)様のお屋敷です。
武家であるからには、勝手に住めません。

屋敷は、幕府から賜ります。
禄高、身分に応じて家の大きさが決まっています。
門の形も作りも、石高によって違います。

前も旗本の石高も近かったのでしょうね。
名前も松平と言うからには、徳川のご一門の下屋敷かもしれませんね。
使っていなかった屋敷を住めるようにするには、どんなに急いでも1ヶ月では無理でしょうね。

金銭も必要です。
源氏の血筋です。
親戚も大身や大大名です。

変な屋敷には住めません。
面子もあります。
それに、茶や書、和歌にも長けた数寄者です。
造作にも、いろいろとこだわりたいです。

無用の出費です。
来年には、上杉の米沢に移り住みます。
それにも関わらず、莫大な費用を使います。

打ち出の小槌を持っています。
上杉財布です。
上杉にとっては堪りません。

「愛」の一字を掲げた、直江山城守様が命を削って立て直した30万石です。
しかし、吉良様の為に15万石に減りました。
吉良様の為にと言っても、直接ではありません。
吉良様が関わったことによって、15万石で留めたということも言えます。

寛文4年(1664年)、先の上杉の殿様・綱勝様、急死です。
それも、吉良家から帰って急に容態が悪くなりました。
その辺も、心証を悪くしています。
そんな分りやすい手は使わないでしょう。

吉良様の妻富子は、上杉の姫様(妹)です。
綱勝には子がないので、お家は取り潰しです。
それを保科正之(二代将軍秀忠の隠し子)の仲介で、強引に吉良の息子、三郎こと綱憲が末期養子という形で、上杉家を家督します。

その代わり、領地は30万石から、15万石に減ります。
しかし、上杉家は誰一人として、リストラしていません。
この辺は、「愛」の力ですね。

その為、一層の財政難です。
それでも、吉良の殿様は、あれやこれやと上杉財布から小遣いを出させます。
領民も上杉の家臣もヘトヘトです。

吉良家の養子、左兵衛様は、綱憲の子、つまり吉良様の孫です。
討ち入りにも、当然居りました。

吉良家のご当主です。(上野介は隠居の身です)
こちらも若いながら、赤穂のサムライと戦われます。
たぶん刀を抜いた程度でしょうけどね。

源氏と上杉の血筋です。
山吉新八という左兵衛と共に、上杉から付いて来た武勇の力が大きいです。

討ち入りは、偶然の偶然の話です。
いえ、これも天命として必然だったのでしょうね。
討ち入りは、千に一つ、万に一つの確立で成功した話です。
上杉からしても、複雑な思いがあります。

吉良家の御当主・左兵衛様は責めをとらされて諏訪に流されます。
宝永元年(1704年)には綱憲が死去、ついで同年8月には養母(祖母)富子(梅嶺院)も死去と、身内の死が重なります。

宝永3年(1706年)1月その流罪の先にて、病死です。享年21歳です。
討ち入りの元禄15年(1703)12月14日から、2年間ほどの話です。
(『ウィキペディアWikipedia)』参照、『忠臣蔵の99の謎』立石優著PHP文庫参照)

凄い結末が待っていました。
これが上杉側から見た、赤穂浪士の討ち入りです。

何とも残念なことばかりです。
無念であったと思います。
上杉の血筋、さすがにそこに「愛」の一文字はあったようですね。
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今日の話と写真の関係は、難を天(転)じる。南天の花です。
赤穂浪士にとっては、万に一つ成功です。

難することながら、多く人の念が強かったのでしょうね。
いい方に転じました。
しかし、そこには多くの人の犠牲があったことも忘れてはいけないと思います。

今あるのは偶然ではありません。
多くの人があって、今があります。
ありがたいと感謝の気持ちを添えたいです。

今日も一日、穏やかに過せますように祈ります。

最後まで、マニアックな話にお付き合い下さいまして、こころよりお礼もうしあげます。