''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

キムチを作ってみたくなって。

寒くなると鍋をすることが多くなります。
私のブログでも、鍋の話も多く出て来ます。
深夜の帰宅では、熱燗と鍋が手軽に出来ます。
たまの休みに、近くのスーパーに買い物です。

今年は、白菜が安いですね。
しかし、中の詰まっていないスカスカしたものが多いですね。
それに周りの外の葉が、硬くて2枚ほど剥くと、食べられるところが極端に少なくなると言うことも多いです。

スーパーでは、地の野菜を売っています。
しっかりと重い、中身の詰まった白菜です。
「ピン」とひらめきました。
そうだキムチを作ろう。
白菜のペェチゥキムチを作ろうと思いつ来ました。

映画の『火宅の人』を思い出します。前にも記事にしています。
監督は、深作欣二氏です。
脚本も深作欣二氏と神波史男氏と二人でされています。

撮影は、こちらも名匠・木村大作氏です。
さすがに、映像が凄いです。
昭和の名作です。
壇一雄の原作です。女優、壇ふみさんのお父さんですね。

主人公の破天荒な生き方です。
この『火宅の人』の主人公役の緒方拳さんが、映画の最後で、子供らと共に白菜を両手に掲げて、キムチを作るために家路に向かいます。

家庭を顧みず、人としても父としても無茶苦茶な生活の果てに、やはり家庭がありました。
帰る我が家があり、そこには子供らとの笑顔です。

映画はこのシーンを最後に、嵯峨美子さんの歌声が、心の琴線に触れます。
その歌声には、切ない中に、人生の生きる機微というか、幾重にも折り重なった心のひだを連想しますね。
涙が頬を伝います。

歌のイメージといい、俳優のキャステングといい、名匠・深作欣二氏の世界です。

個人的には、中原中也役の真田広之さんのイメージが、なんとなく中原中也のイメージと重なった気がします。
細かいところまで、こだわった作品であり、何度見ても新しい発見があります。

そんな映画を思い出しました。
白菜から、いろんな世界が見えます。
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キムチの素というのが市販されています。
こちらは、業務用スーパーで買い求めたものです。
塩漬けした白菜に混ぜるだけです。

地の白菜は、なかなか水分の多いいいものでした。
少し多めに塩をします。
十分に水分が出た白菜を、このキムチの素に一晩漬けました。
昆布を手で割ったものも一緒に入れましたね。

次の日には、大きなタッパにたっぷりと出来ています。
あれだけあった白菜が5分の1ほどになっていますね。
早速、切って見ました。
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少し塩分が強いです。
しかし、十分に旨みは出ています。
早速、キムチ鍋にして頂きました。

刻んだキムチとその漬け汁も一緒に投入です。
そのまま食べると少し塩分が強いと思っていましたが、鍋にすると絶妙です。
「うまい」です。

昆布がよく効いていますし、味も尖がった感じはありません。
複雑な味のハーモニーがあります。
オキアミなどの魚介類の味も効いています。
スープもごくごく飲めます。

もちろん、辛いです。
でも、程よい辛さですね。
ビールやお酒が進みます。

豚肉、豆腐、白菜、揚げなどの食材との相生もちょうどです。
これなら、何度でもキムチ鍋出来ます。
この不景気にはありがたいです。

白菜は、大きい一玉140円、キムチの素も300円ほどでしたね。
白菜は、まだ半分ほどしか使っていません。
キムチの素も4分の1ほどしか使用していません。
実質、費用150円で、3リットルのタッパに、たっぷりキムチが出来ました。

買って来たキムチと見た目も味も、それほど遜色はありません。
美味しいキムチは、もっと深いコクがあります。
この辺は、即席ということを考慮すれば、十分に満足の行く味と値段です。

悪くないですね。
帰って来たからの、すぐ出るビールの肴にも出来ます。
もちろん、豚肉と一緒に豚キムチにしても、なかなか合います。
反省点は、白菜の塩加減をもう少し軽くしておくことです。

初めてにしては、よく出来ました。
若い頃、本格的な漬け方も習って知っています。
量といい、手間といい、なかなか大変です。
これなら、気軽に自分流のキムチをつけられます。

そうそう『火宅の人』の火宅とは、仏教用語で、「燃盛る家のように苦悩に包まれた所」の意味だそうです。
法華経の中にも、「三車火宅の喩え」と言うのがあります。

大金持ちの長者の話です。
火事の家の中に、それを知らずに子供3人が遊んでいます。
家族が必死になって、外に逃げるように言うのですが、遊びに夢中で家から出てきません。
その為に、金銀銅の豪華なおちゃの車を3台用意して、子供の気持ちを引いて、外に脱出させる話です。

豪華なおもちゃの車は、たとえで言えば方便ですね。
時に方便を使って、人を救うこともあります。
真実とは、なかなか見えにくいものですからね。
導いてもらって、正しい道に進むこともあります。

方便とは、世間でいう「うそ」ではありません。
もともと仏教用語です。
衆生を教え導く巧みな手段」という意味だと聞いています。

私は、知恵だと感じています。
困った時、苦しい時には、何とかして逃れたいです。
逃れられるときは、いいですが、逃れないときもあります。
しかし、気持ちはいくらでも楽になる方法があります。

今が最悪なら、後は楽しかないと考えることです。
苦しい時ほど、常に今が最悪と考えれば、後は楽しか残っていません。
病の痛みなら、薬を使えばいいです。
いくらでもその問題の解決はあります。

しかし、どんな状況においても「よかった」は落ちています。
「よかった」を探せば、それは小さい幸せです。
どんな状況にあっても、「よかった」はあるはずです。
今あることがありがたいなら、自ずと感謝の気持ちも沸きます。

不景気にあったとしても、生活を少し小さくすれば、乗り越えることも出来ます。
その為には、知恵は必要です。
その知恵が、方便だと感じています。

昨日は、エアーステーキも、その一つです。
そこには無くても、あるが如く感じる心のゆとりはあると楽しくなります。
騙すなら、自分を自分が騙せば、問題はありません。

心の持ちようで、人生が大きく分かると信じています。
そう思うと気持ちが楽になりました。

キムチ鍋食べるといつもこの「火宅」というテーマを思い出します。
こんなつましい物が、これだけ美味い。
幸せです。
ありがたいと手を合わせます。

今日も一日平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、キムチのようなピリ辛な話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。