''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

藤森神社の御札より。

今日は、雨降る朝の目覚めでした。
すごい雨でしたね。
昨日までの天候が嘘のようです。
今日は日曜日なので、仕事はお休みです。
ほっとします。

そんな中、朝に玄関のポストに、新聞の他に、何か入っています。
よく見ると、先日5日の藤森神社さんのお札です。
藤森祭りに、土地に住まいする氏子として、寸志を出したことに対しての、お札です。
毎年、頂いています。
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霊験あらたかなお札です。
玄関に置いています。
貧家に入ってくる「魔」を退治してもらうためです。

勝負の神様でもありますから、このお札握り締めて、淀にでも勝負に行くといいかもしれませんね。
学問の神様でもあります。
いい風に分析できたら、それだけ高確率になるかもしれません。
それとも、株で一儲けでも、FXで一儲けでも、企みましょうかね。

丁半博打なら、その時の運だけでしょうが、株式やらFXだとかは、社会の情勢にも政治の行方にも大きく左右されます。
その為の勉強は、まさかの時に役立つかもしれません。

転ばぬ先の杖かもしれません。
そんな勝負もありますからね。
ご利益があるということになれば、ネットでもこのようなお札のオークションもあるのかもしれません。

ネット社会と言いながら、最後には、神仏に頼ります。
不思議な人間の業かもしれません。

それだけ人は弱いものです。
常に、猜疑心の中で暮らさないといけません。
特に資産のある方や社会的な地位のある方は、騙されないようにと神経を使うのかもしれませんね。

こう思うと持たない者は強いです。
貧家に暮らすということに、一種の安堵感すら感じます。
それでも、今あるあることに感謝しています。

仏の世界に、神の世界もあると思っています。
本地垂迹の説からすると逆にもなります。

しかし、神と仏の存在は、どちらも相容れない否定の中にはありません。
むしろ、分離できない存在です。
古い神社や寺院では、寺の中に、神が祀ってあり、その逆もあります。

不思議な世界です。
その意味では、明治の初めにあった神仏分離が、今日の文化の中で失ったものは、計り知れないです。
まだまだ国宝級のお宝で、現在にも残ったかも知れません。
すこし残念に思います。

神も仏も、もちろんおいでです。
存在するものです。
見えないけれど、近くに感じる存在です。
ありがたいことに、私は仏縁を頂いています。
日常から、それをしっかりと感じて生かされてもらっています。

不思議な何かの力で、人は生かさせてもらっています。
そう自覚できることは、人を謙虚にしてくれます。
自分の分にあった生活があり、その中に幸せもあると感じています。
道は近きにありです。

この進む日々の道のりの果てに、長安が存在すると信じて、進んでいます。
疲れれば、休み休み、気持ちが満ちれば、歩けばいい、それだけです。
日々の暮らしを大切にすることこそ、幸せを見つけられる早道かもしれません。

いろんなご縁に守られて暮らしています。
いろんなご縁に感謝しています。
心の三毒を廃し、心静かに暮らすを旨としています。

今日も明日も、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、今日の休日のオフだという話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。