藤林益三さんが去られてから、もうすぐ一年が来ようとしています。当然一度もお目にかかったことがありません。しかし、あれは1996年9月号のサライという雑誌を見て感銘を受けたのを覚えています。あれ以来何かとその雑誌を何度となく読み返しています。ボロボロです。
去年訃報の記事にびっくりしました。藤林氏の生い立ちから学生時代を通し、弁護士として活躍された礎を垣間見ました。それにお母さんとの上京時エピソードと食い入るように何度何度も読み返しました。(これは実際に読んで頂かないと私の稚拙な文章ではお伝えできません。しかし、少しでも感動をお伝えしたいです)
その中に「罪なくて見る配所の月」といわれているのがあります。「行刑学者がためしに刑務所に入ってみたって、受刑者の本当の心はわからない。健康な人が体験入院してみたって、病人の気持ちはわからん。」という下りがあります。
また、「人間の境遇というものは、一回こっきりのものです。これは神様が与えたものでね、年をとって振り返ってみても、本当はしょうもないんだ。思い出になると、ええとこだけが残る・・・・」と述べられています。
座右の銘に上げられているものに《涙とともに蒔く者は、喜びとともに刈り取らん》『旧約聖書』の言葉を上げられ、神様への感謝の気持ちが述べられています。感銘を受けました。
何度となく折に触れ読み返してきました。ささやかな心の支えにしてきました。
いつでも読めるようにパソコンにも原稿をファイルしています。何気なしこの雑誌を買ったりしています。琴線に触れる記事が時々あるからです。また、美味しいものの記事も多いのが気に入っています。大人の雑誌でしょうかね。
こんな高名な法律家が、感謝の気持ちをいつも持ち続けられていたことに驚きもありました。また尊敬の念を感じます。感謝あっての結果であったのかもしれません。手に入るのであれば、ぜひお読み頂ければこの気持ちをおすそ分けできると思います。
前に進むしか道はありません。この道も「長安」に通じています。