''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

「赤いきつね」と「緑のたぬき」の色組合せ より。

朝から寒いですね。
日本海の方面では、大雪の予想です。
京都伏見の地でも、今雪が降っています。

 

寒いわけです。
積もりそうな予感もします。
スクーターでの走行では、やはり恐怖を感じますね。

 

雪の日も「日日是好日」です。
雨の日もあり、雪の日もありです。

 

雪を見ながらなら、雪見酒とシャレた呑み方が出来ます。
雪が降ったと言って、呑むなら、それを口実(好日)違いですね。(今日はここしか笑うとこないです。ねぇーとおるちゃん!!)

 

雪をロマンチックと思うのは、大雪の地方の方からすれば、失礼です。
雪かきをしないといけないですからね。
一日に1メートルも積もれば、家に大変な負担が掛かるでしょうね。
雪のほとんど降らない地方では、想像すら出来ないことです。

 

でも、その雪解けの水が、秋の豊かな実りになることも、事実です。
米どころと言えば、雪のイメージです。
また、米と言えば、酒どころとも言えます。

 

そういう意味では、美味い酒を雪が作っているとも言えます。
ありがたいと感謝して頂きたいです。

 

昼間からなら、熱いのは早いです。
昼ごはんに何か温かい物でも、食したいです。

 

先日、台所をゴソゴソすると、ありました。
マルちゃんの「赤いきつね」です。
赤いのは、きつねうどんで、緑は、たぬきそばとイメージが付いています。
イメージ 1

CMの力でしょうね。
どうして、きつねが赤で、たぬきが緑なんでしょうね。
赤と緑は補色の関係です。
真逆の色の関係にあります。

 

きつねうどんと言えば、関西では、「けつね」や「しのだうどん」と言うこともありますね。
漢字なら、信太(しのだ)でしょうね。
信太の森と言えば、狐の化身の「葛の葉姫」が浮かびます。

 

「恋しくば尋ね来て見よ 和泉なる信太の森のうらみ葛の葉」
愛すべき5歳のわが子・童子丸に、この和歌を残して立ち去る葛の葉姫です。
ちょっと悲しい物語です。(過去にも記事にしています)
この童子丸は、皆さんご存知の陰陽師として知られる後の安倍晴明です。

 

狐の特殊な能力が備わっているわけです。
あくまでも伝説です。
本当は、きつねだけに真っ赤な嘘かもしれません。
ここから、赤いきつねなんでしようかね。(それは嘘です)

 

でも、嘘と言えば、赤い色が付いているんですよね。
不思議です。
見えないはずの嘘に色が、付くのはどういうわけでしょうね。
真実か嘘か、黒白つけることはありますれどね。

 

刑事ものなら、犯人の特定ですね。
白と言えば、無実です。
黒と言えば、犯人です。

 

勝負の相撲の世界なら、白は白星の勝ち、黒は黒星の負けです。
勝負の厳しい黒白が付きます。

 

いろんなところに色の表現が付きます。
不思議です。
きつねが赤で、緑がたぬきです。

 

関西では、きつねと言えば、甘辛く煮込んであります。
私がよく言っていたうどん屋では、「甘きつね」と呼んでいましたね。
甘辛く炊いた揚げさんが、二枚乗っています。

 

そのきつねでなく、味の付いていない刻んだきつねもあります。
こちらは、「きざみうどん」と呼ばれます。

 

私も時々注文します。
あっさりしていて美味いです。

 

ネギのと刻んだお揚げさんが、見事にマッチしています。
これを丼にしたきつね丼も、私は大好きです。
要するにお揚げさん好きです。

 

関西では、たぬきと言えば、天かすそばですね。
京都なら、あんかけのうどんを指します。
天かすそばを、他の表現に変えると、はいからうどんやそばですね。

 

確かに、天かすを入れるとうどんやそばにコクが出て、天ぷらうどん食べたみたいな気になります。
店でも、廃棄する天かすを利用できるのですから、ありがたいアイデアです。
入れ過ぎると、胸やけします。

 

カップ麺も関西と関東では、味が違うと聞きます。
出汁の色が違うことは知っています。
まだ、食したことがありません。

 

やはり、たぬきの内容もきつねの入ったそばなんでしようかね。
蕎麦屋で、天抜きや台抜きと言えば、裏メニューです。
台=そばのこと、天ぷらと出汁だけを煮込んだ酒呑みの肴です。

 

蕎麦屋に来て、酒呑んだ後にそばを締めくくりに食べますからね。
出汁を吸って、もろもろになった天ぷらを頂くわけです。

 

カップ麺なら、天ぷら後乗せサクサク派には、抵抗があるでしょうね。
でも、昔の方は脂っこいものが苦手です。
今みたいに脂っこいものを食されませんでしたからね。

 

江戸時代も明治に入っても、天ぷらは出汁に付けて食べるものですからね。
今でも天つゆがその名残です。

 

関西、特に大阪では、天ぷらと言えばソースをかけて食べる方が多いです。
何でもソースかけて食べる方が多いです。
天つゆがあっても、ソースです。

 

大阪は、ソース文化圏なんですかね?
もちろん、答えは「そーすね」です。(ここしか笑うとこないですよ。ねぇー、とおるちゃん!!)
醤油派の私からしても、「しょうゆ」ことです。

 

赤と緑は、対比する補色です。
陰と陽、裏と表、妙法華経なら、妙と法の対比した関係になります。

 

光の色も見えないものです。
しかし、温かさを感じます。
見えないけれど感じるものもあります。

 

見えない世界の妙と、見える世界の法、二つの世界から成り立っています。
仏の教えも、文字できないこともあります。

 

禅の言葉なら「不立文字」(ふりゅうもんじ)です。
読むことの出来る経典の教えが「法義」なら、見えない教えが「妙義」です。
自分で会得しないといけないものですね。

 

盲目の方に、色を伝えることは難しいです。
色という定義も、難しいです。
色のある世界と色の無い世界、濃淡だけの水墨画の世界ですね。
それでも、見事に物事を表現できます。

 

何かに対して、色が濃い、色が薄いの対比です。
味も同じです。
味が濃い、薄いは、人により違います。
人の幸せも、色や味と同じでしょうね。

 

薄い味なら、素材の味を楽しめます。
濃い味なら、ソースの味を楽しめます。

 

日々の暮らしなら、薄いものがいいですね。
幸せも、いつも濃いものを求めてはいけません。
薄味でも、充分楽しめます。

 

日々の暮らしの中、いろんなところに幸せはあります。
野に咲く花をみて、天に浮かぶ月を見て、温かいカップの麺を食す。
この時期、熱々が何よりのご馳走です。

 

私は、ありがたい仏縁を頂いています。
感謝というメガネを通して、日々の暮らしを見ると、そこかしこに、「よかった」が落ちています。

 

人生も、醤油や塩の味付けより、ありがとさんというたっぷり出汁の効いた味がしっかりすれば、美味しく頂けます。
ありがたいと感謝です。

 

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮したいです。
それが願いです。

 

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますうに、祈るばかりです。

 

最後まで、麺の赤裸々な話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。