''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

子夜に鳴く、鳥胸肉のチキンソテー より。

朝から寒いです。
少し前には、雪が舞っていた京都伏見の地です。
今は、日差しが射していますが、少し前までは、雨交じりの雪が降っていました。

 

寒いはずです。
今日は、日本中が寒波の中にいます。

 

今年の大雪は大変です。
先日テレビで、現在地球は氷河期に入ったところのようです。
えっーて、感じです。
中学の時にも、同じようなことを聞きました。

 

その頃から温暖化という言葉も聞いていました。
今から30年の前の話です。
それにして、何らの対策が出来ていませんね。
主催国である日本が、京都議定書の決定すら守れないのでは、世界の笑いものです。

 

鳩山総理の発言は、何だったのでしょうかね。
疑問があります。

 

金持ち喧嘩せずの格言のように、その場だけの発言のようですね。
沖縄の米軍基地問題も、言った以上、最後まで責任を取るべきです。
宇宙人的に発想には、付いていけません。

 

温暖化と氷河期の問題を考えるなら、一時の問題として、温暖化もありますが、やはり、地球規模で考えると、氷河期のようです。
それが証拠に、北極と南極に氷があります。

 

温暖化と言えば、そこに金銭が発生するシステムを作り上げて、という政治的な思惑も、見え隠れします。
その速度以上に氷河期の到来です。
何かのスイッチで、それが強くなることがあるようです。
今年も、その予兆であるかもしれません。

 

夏は猛暑、冬は大雪では、たまったものではありません。
電力消費も抑えなくてはいけない昨今です。

 

やはり、寒いときには、コタツに熱燗といきたいです。
電気代も、エアコンに比べて、コタツは安いです。
背中が寒いなら、どてらでも一枚羽織ればいいだけです。
貧家は慣れっこです。

 

寒い日本海側やら、被災地の東北を思えば、大抵我慢出来ます。
出来ることから、コツコツとですね。(きよし師匠?)

 

熱燗の肴と言えば、一番に思いつきのが、焼き鳥です。
安立の名店「きらく」のように、家では炭焼きは難しいです。

 

手軽にフライパンで、ソテーです。
値段もお安い胸肉を使いました。
もも肉より脂も少ないです。

 

その分、パサパサした感じに思えるのも、事実です。
しかし、皮目からしっかり焼いていきます。
もちろん、フライパンには、蓋をつけて下さい。
蒸し焼きみたいになります。

 

カットせずに、焼いて後でカットするのも、手です。
しかし、早く火を通して、熱燗の加減に合わせるために、食べよい大きさにカットして、ソテーです。
イメージ 1

両面にキツネ色に色を付けた位にしてます。
味付けは、あっさり鍋でもよく使うポン酢です。
青ネギも乗せます。
イチラーですから、一味のフリフリします。

 

うーん、うまいです。
ポン酢の加減と一味のインパクトがいいです。
鳥の焼いた香りがいいですね。
皮目もパリパリしていいですね。
下味の塩コショウも効いています。

 

熱々を、熱燗で頂きます。
うーん、至福です。
寒さも、熱燗の楽しむアイテムです。

 

雪が降るなら、それを見て頂く「雪見酒」と行きましょうかね。
雨の日も、雪の日も、「日日是好日」です。
酒を美味く呑むための「口実」でもあります。

 

鳥と言えば、禅の言葉にも出てきます。
「木鶏鳴子夜」(もっけいしゃになく)です。

 

その後、「芻狗吠天明」(すうくてんめいにほゆ)、と対になっているようです。
意味は「木彫りの鶏が真夜中に鳴き、藁(わら)の犬が明け方に吠える」のようです。
そんなバカなと思う莫れです。

 

「木鶏鳴子夜」(もっけいしゃになく)の木鶏とは、木彫りの鶏です。
闘鶏(とうけい)の鶏ですね。
常に相手の鳥の前に、落ち着きがありません。
それが普通です。

 

しかし、まるで木で作ったような鶏のような、堂々として鶏に対する最高の賛辞です。
そんな落ち着いた木彫りの鶏だとて、実は子の刻の深夜に、人知れず練習しています。
見えない努力の賜物です。

 

何気に勉強が出来ると思われている人でも、人の居ないところでは、人知れず努力しています。
天才と言えど、練習せずに強くなるはずがありません。
天才と言われていても、練習せずに入れば、神童も二十歳過ぎればただの人です。

 

本当の天才は、素質もあることながら、人の何倍もの努力をする努力家のことでしようね。
それも「無心」で努力することでしょう。

 

凡人には、身につまされる言葉です。
研鑽を積むと言います。
積む以上、一気にはいきません。
少し少しの積み重ねが生きています。

 

私のブログも、この2月もう少しで、4年目に入ります。
毎日毎日、何かを書き知ると言う一見無駄の塊ですが、自分と対話する時間でもあります。
自分が、人生の「主人公」になっているのか、毎日自問自答しています。

 

イライラすることも、ウジヴシすることも、多いです。
それでも、人である以上生きていかないといけません。
いろんな葛藤があります。

 

日々の暮らしの中、ささやかな幸せを見つけることによって、生きている喜びを感じます。
その喜びも、人様から見ると、微々たることです。
しかし、それを至福と考えると、少しだけ気持ちが軽くなります。

 

これもありがたい仏縁のお陰です。
ありがたいと感謝しています。

 

花を見て、月を見て、美味たる焼き鳥を食らい、酒を呑む。
至福です。
自分の分にあった幸せです。

 

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。
それが願いです。

 

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

 

最後まで、大味な大鳥の話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。