''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

暑さの中、薫風は南より来るのか、縁側で涼を得る より。

暑さも幾分か、ましです。
盆明けには、また暑さも戻って来そうな天気予報です。
それにして、昨日の朝方の集中豪雨で、あちらこちらに被害が出ています。
特に関西は、酷かったですね。

 

どこか天気が不順になっているようです。
これも地球温暖化の影響でしょうかね。
それでも、地球は未だ氷河期を脱出していません。
北極や南極に氷があります。

 

科学者によっても、CO2の増加による温室効果で温暖化が進むと言う人も要れば、違うことをおっしゃる方も多いです。
ただ、異常気象は事実ですからね。

 

玄関に打ち水して、縁側近くで涼んで居たいです。
出来たら、昼ごはんに一献傾けたいです。
盆ぐらいゆっくりしてもいいかもです。
気持ちだけです。
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大切にしている頂き物の、大阪天満宮の団扇です。
これで涼を取るより、感じたいです。

 

禅の言葉、禅語に「薫風自南来」と言うのがあります。
「薫風、南より来る」と読むようです。
ただし、お茶席では、「くんぷうじなんらい」と棒読みするのが慣わしと、我愛読書『禅語の茶軸 一行物』(芳賀幸四郎著 淡交社)と記されています。

 

唐の文宗皇帝が歌を読まれました。
何やら因縁のある話です。

 

人は皆炎熱に苦しむ(を厭がる)
我は夏日の長き事を愛す

 

詩人である柳公権(りゅうこうけん)が下の二句を付けて、五言絶句が出来上がった。

 

薫風自南来
殿閣微涼を生ず

 

世間の多数の人は、夏の暑さを厭(いや)がるけれども、皇帝の私は、その夏の日が一年中で一番日が長いので大好きである。暑い暑いと言えども、時折涼しげに吹いてくる心地よい薫風により、広大な宮中も急に涼しくなり、その清々しい心持は、夏でしかと味わえないものである。

 

何ともお気軽な言い分です。
炎天下の下で働く人民の事など、まったく配慮のない愚かなな皇帝だと感じます。
皇帝の詞としては、少し気遣いの足らないものでしょう。
日本の無能な政治家の失言によく似ています。

 

約二百年後、宋の詩人、蘇東坡(そとうば)が、この後に四句を付けた。

 

一たび居の為に移されて
苦楽永く相忘る
願わくは言わん、此の施しを均しくして
清陰(せいいん)を四方(しほう)に分かたんことを

 

この意味は、「皇帝陛下は、宏壮な宮殿に安楽に暮らして折られるから、我は夏日の長さを愛するなどと気楽に言っておられる。どうぞ、天下万民の上に立つ者として思いをはせて、薫風が南から吹いて来って殿閣を生ずと言う佳境を、万民が(貧富なく)均しく味わえるように、ご配慮頂きたいものです」と、少し意訳になります。

 

この蘇東坡(そとうば)の追吟した詩は、いよいよ有名になったようです。
今の政治家に聞かせてやりたいです。

 

また、禅の達人、あの「流れ圜悟」で有名な圜悟克勤(えんごこくごん)がある時説法にこの詩を援用された。

 

昔、雲門大師は、「如何なるか是れ諸仏出身の処」(まことの禅者の人生処しは如何なるものか)と問われたのに対して、「東山水上行(とうさんすいじょうこう)」(東山へは舟で行く)と答えられたが、自分(圜悟克勤)なら「薫風自南来、殿閣微涼を生ず」と答えてやろうと言われたと聞きます。
これを聞いて大慧禅師が大悟されたと曰くの話に繋がっています。

 

私なら、「東山なら、おけいはん京阪電車)で行くよ」と答えますよ。
電車なら涼しいですからね。
そういうも問題じゃないって、はいはい、お邪魔虫ですね。

 

その裏にあったものは、人間のいろいろな悩みや相対的な考えや何やら、ありがたい悟りの境地も忘れ去って、サパサパとした涼しい境涯と、その境涯から力を入れすぎず、あたり前のさらりとあたり前に行うことにある、と言う意味のようです。

 

人は当たり前のことが、当たり前に行えない生き物です。
そこに人としての迷いも悩みも存在する。
つまらないことに、心を囚われます。
そのわだかまりも、薫風で清々しい境地になれたらいいでしょうね。

 

もっと言えば、「本来無一物」、悟りの境地すら、かなぐり捨てた処に、真の禅の境地があるのかもしれません。
答えすら見つからない凡夫のサガです。
嵯峨嵐山なら、阪急で行くよ」

 

そういう問題では無さそうです。
嵐電でも、JRでも、バスでも行けます。

 

「分け登る麓の道は多けれど 同じ高嶺の月を見るかな」 

 

一休禅師の歌の有名な禅の境地は表した歌ようですね。
じゃ、私の戯言も、全く的外れているとも言えないですよね。
家の前の道も、東山にも、嵐山にも通じています。
もちろん、最終目的地の、長安に通じていますよ。

 

一歩一歩疲れたら、休み休みして、歩みを進めます。

 

日々の暮らしの中に、ささやかな幸せがあります。

 

ありがたいことに、私は仏縁を頂いています。
ありがたいと感謝して暮らしています。

 

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。

 

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

 

最後まで、微薫芳しい夏の縁側での話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。