''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

今晩は、おでんと燗酒でよかろうなぁ より。

冷たい雨が降っています。
タツに入り、丸まったネコさん状態です。
運よく、今日はオフとなりました。
久しぶりで、7時台の起床となりました。
幸せです。

 

ゆっくり出来るほど、幸せなことはありません。
少し、撮りためたドラマでも見ようか、ネットの動画でも見ようかと画策しています。
昼餉には、軽くアルアルもいいかもです。

 

寒いとなると、やはり晩酌はおでんにしましょうかね。
先日も、おでんをこさえました。
やはり、いいですね。
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こんにゃく、大根、たまご、ごぼう天、角天、牛スジ肉、練り物もいろいろと入れました。
焼き豆腐が、なかなか味がしゅんで美味いです。
冷えた体が温まります。

 

こうなると、燗酒の登場です。(待ってました。関東屋!!)
美食家の北大路魯山人に因りますと、その著書『魯山人味道』の中、「鮪を食う話」の項で、こう語られています。

 

「元来、東京の自慢であるたべものは、概して酒には適さない。すし、てんぷら、そば、うなぎ、おでん、いずれも酒の肴としては落第だ。おでんで飲む向きもあるが、これは他に適当な肴がない場合だ。~」
落第とは言い過ぎですね。
この辺が、魯山人が知人に人気のない言い様ですね。

 

燗酒とおでん、美味いですよ。
確かに、脂っぽいものと、日本酒はあいません。
てんぷらと、日本酒で一杯と言う人も居ますが、これは全面的な賛成は出来ません。
油ものには、炭酸系の飲み物、概してビールや発泡酒がよく合います。

 

日本酒の燗酒には、ウエットなもの、つまり湯豆腐や煮焚ものがよく合います。
魚に関しては、生も焼き物にもよく合います。
魚の語源は、さけなにあると聞いたことがあります。

 

「な」とは、おかずです。
ですから、酒にあうおかずと言う意味だと言うのです。
多少強引な説ですが、的は外れていないと思います。

 

ですから、おでんには豆腐や大根などの煮焚ものが含まれています。
だしをたっぷり含んだ大根も豆腐も美味いです。
これらが、燗酒に合わないとする魯山人の意見は、間違っています。

 

油ものの、練り物のごぼう天は、よく煮込まれて、ふっくらとして油もある程度抜けると、日本酒にも合うと思います。
おでんは大好きです。

 

播州の出身ですから、おでんと言わずに、関東煮(かんとうだき)と呼びます。
甘辛い味付けです。
京都のような澄んだ出汁ではありません。
真黒な出汁です。

 

これが美味いんです。
甘くどいので、小皿にしょうが醤油をいれて、それを付けて食べます。
辛子ではないんです。

 

私の今月のサブテーマは、「赤穂浪士」です。
赤穂も同じ播州ですから、同じような味付けが好みだと思います。
播州の東の方に社(やしろ)と言う場所があります。
加東郡ですね。
ここも、赤穂浅野家の領地です。

 

ですから、播州の中心地の姫路近くも通ります。
当然、同じ味付けのなりますよ。
風土と言う物もありますからね。
播州では、練り物も盛んです。
かまぼこや竹輪も製造が盛んです。

 

やはり、煮込みと言う場、こうした練り物も、使われていたはずです。
おでんにも、燗酒最高ですよ。

 

燗酒と言えば、赤穂浪士で出てくるのが、「神崎与五郎 馬子の詫び証文」ですよね。
浪曲、講談でも人気の題目です。
浪曲、講談では、赤穂浪士ものは、人気です。
本編、銘々伝、外伝、と三つの種類に分かれます。

 

神崎与五郎 馬子の詫び証文」、銘々伝ですね。
大事の前に、馬子に難癖をつけられて、詫び証文を書くと言う話です。
漢字では分からないので、ひらがなで書けと言われます。

 

そうすると、神崎与五郎ですから、「かんざけよかろう」と読めた。
ふざけた奴と、また難癖をつけると言うことになります。

 

『赤水郷談』によると、大高源五にも、似たような話があります。
こちらは、三島の本陣跡の世古家に伝わっているとも聞きますし、明治35年1月、大森金五郎が伊豆牛臥旅館で発見されたとも聞きます。
やはり、どちらかが、偽物の疑いが強いようです。

 

どらたにしても、大高源五の話の方が先で、これを神崎与五郎なら、燗酒よかろうとした方が、もっと面白いと話が変わったものと思われます。

 

しかし、討ち入りの大事の前です。
些細なことで怒ってはなりません。
するが堪忍です。

 

仏法世界でも、妙法華経の中、柔和忍辱の衣を身にまといます。
如来の心、衣、座について述べられています。
些細なことに、心を捉われてはいけません。

 

この世の中に、いろんな人がいます。
中には、本来人間世界に生まれるはずでなかったものが、間違ってこの世に生まれることがあります。

 

魂は、人の心ではありません。
餓鬼畜生の心に、人間の肉体がたまたま間違って宿っただけです。
そんな者にかかわることはありません。
仏の縁が、そうした悪い縁から遠ざけてくれます。

 

観音さんの名を唱えると、こうした悪い縁から救われます。
観音さんの神通力の中に、強盗などの救ってくれる効果が書かせれています。
刃物や暴力などからも、身を守って下さいます。

 

ありがたい徳が、記されています。
私もその体験をしています。
本当に、あるんですよ。
仏の世界は、現実の話です。

 

困ったときは、いつも観音様の名を一心に唱えます。
そのご利役は、凄いとしか言えません。
何やらの宗教団体に勧誘されることもなく、お金も全くかからずに、ご利役があるんです。

 

やらない手はありません。
一心に名を唱えるだけです。
100回も唱えると、嫌なことも、少し気持ちが楽になります。
ありがたいです。

 

日々の暮らしの中、ささやかな幸せがあります。
ありがたい仏縁に感謝しています。

 

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮したいです。

 

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈ります。

 

最後まで、よく煮込んだ話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。