''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

休肝日に思う鰤の造りと燗の酒 より。

昨晩は、週に1度の休肝日でした。
医者から止められている訳でもありません。
自主的に、休肝日を定めています。

とは言え、罰則もありませんので、強制実行ではありません。
あくまでも、自主的な行動です。

それが、上手くいく方法です。
どうしても呑みたくなったら、呑めばいいです。
呑みたくなったのを、我慢しようとするから、無理が生じます。
長く続かない原因にも、なります。

無理しないことが、一番続く方法です。
呑みたくなった、呑んでもいいよ。
そう自分に逃げ道を用意しておきます。
そう言っても、私は意外と頑固です。

逃げ道を作っただけで、気持ちが楽になります。
本当に呑みたくなったら、呑みます。
それでいいんです。

休肝日の5回に1回ぐらいは、サポタージュしてもいいでしょう。
それも、想定内です。
少し懐かしい言葉に聞こえます。

私の書きブログも一緒です。
毎日書こうと思うから、なかなか続かないです。
休むこともあるよ。
そう軽く考えることが、無理をしないことです。

頑張らないことも、意外と難しいことです。
自分に逃げ道を作ると言うのは、意外に有効な方法だと思っています。

仏の世界でも、「喜捨の法」と言うのがあるようです。
仏教学者のひろさちやさんの本で読んだ記憶です。
お布施の方の喜捨でなく、戒律厳しい仏教徒の精神的な問題です。
戒律厳しい仏教徒の中でも、飲酒は認められていません。

でも、現実的には、僧侶にあっても、般若湯などと言われて呑まれることがあります。
飲酒事態を禁止されているのでなく、酒に酔う事によって、罪を冒してしまう危険があります。
仏教徒の戒律は、段階的にいろいろとあるようですね。

しかし、その厳しい戒律を守り続けることは、精神的にも困難になった時、「今日は仏教徒を、お休みします」なんて、不謹慎ですが、そう思う事になって、仏教徒であると言う存在を維持できます。

本当の僧侶に言えることなのか、そうでない方にも言えることなのか、分かりませんが、喜んで捨てるそんな選択肢もあれば、少しだけ気分が楽になります。
その程度の凡夫の発する無責任な発言ですので、お叱りの言葉はご容赦下さい。

でも、頑張っている方に、「頑張れ」と励ましても、無理です。
本当に、頑張り抜いた方に、これ以上頑張れと言っても、苦痛でしかないはずです。
そんな方には、「頑張らないで」、「少し休めば」、そんな言葉をかけてあげたいです。
イメージ 1

まだまだ頑張りの足らない凡夫の私は、煩悩の塊です。
ですから、休肝日でも、呑みたいという気持ちは強いです。
でも、とりあえず呑まないと決めた以上、無理をしないようにしています。

先日、鰤の造りを肴に呑んだ燗酒を、思い浮かべながらの休肝日でしたね。
そうして一時のしのぎが出来れば、自信が生まれます。
その事によって、気分が楽になります。
来週まで、次の休肝日を見つけます。

先日食べた鰤の造りは、腹の脂の乗った所でした。
脂が甘いです。
新鮮だったので、鰤の臭みありませんでした。
肉と違って、口の温度で、鰤の脂が溶けます。

刺身の中でも、私の中では、鰤が上位に入ります。
煮ても焼いても美味いです。
アラを使って、もう少し寒くなると、鰤アラ大根が我が家の食卓に上ります。
鰤より、鰤の旨みを吸った飴色の大根が、至福の旨みです。

焼き物なら、鰤カマの塩焼きでしょうかね。
照り焼きよりも、燗酒の旨みを引き立ててくれます。
よく行くスーパーは、鰤のカマが意外に高いです。
アラ扱いですから、安いお店もあります。

鰤を見たら、呑みたくなるのが、酒呑みの性分です。
仕方ありません。
今夜の晩酌タイムに、鰤の造りは用意がありませんので、軽くリハビリ的な発泡酒で喉を潤すことにしましょう。

あれだけあったブラックニッカクリアの4リットルペットボトルが、半分をきりました。
これは如何と、ハイピッチです。
ほどほどにしておかないと、休肝日の意味すらなくなります。

年をとっても、晩酌タイムは長く続けたいです。
その為の伏線程度の休肝日にしておきたいです。
心と体も元気でありたいです。
今日もありがとさんです。

日々の暮らしの中に、ささやかな幸せがあります。
ありがたい仏縁を得たと、感謝しております。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。
それを願うばかりです。
今日も一日、私も世の中も、平穏無事でありますようにと念じます。

最後まで、美人の酌のタボでなく単なるダボな男の話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。