''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

内蔵助の母方親族 池田 政綱(輝政の五男)

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赤穂藩 筆頭家老 大石内蔵助良雄 血縁関係 の「け」 

 

池田 政綱(いけだ まさつな)

江戸時代初期の大名播磨赤穂藩の初代藩主。

 

慶長10年(1605年)、播磨姫路藩主・池田輝政の五男として姫路城で生まれる。母は徳川家康の次女・督姫であるから、家康の外孫に当たる。

そのため、慶長16年(1611年)には家康から松平姓を下賜された。

 

元和元年(1615年)、備前岡山藩主だった兄の池田忠継が死去すると、その遺領から赤穂郡3万5,000石を分与されて、赤穂藩を立藩した。

元和9年(1623年)7月19日に従五位下右京大夫に叙任する。

寛永3年(1626年)には従四位下に昇進する。

 

藩政においても藩の基礎を固めるなど、若くして手腕を見せていたが、元和4年(1618年)には本多忠政の家臣・稲垣平馬事件も起こるなど、世情不安の中で寛永8年(1631年)7月29日に死去した。享年27。

継嗣がいなかったため、赤穂藩は一旦は無嗣改易となるが、弟の輝興家督を継ぐことを許された。

ウィキペディアWikipedia)』参照

 

兄弟

利隆忠継忠雄輝澄、政綱、輝興