池田 長明(いけだ ながあき、慶長11年(1606年)- 延宝7年3月7日(1679年4月17日))岡山藩の家老。片桐池田家第2代当主。通称は河内、伊賀。
母は加藤嘉明の娘。
子は池田長重、池田長久。幼名新吉。
慶長11年(1606年)、岡山藩家老池田長政の嫡男として備前下津井に誕生する。
慶長12年(1607年)に父長政が死去し、幼児では要衝の地の下津井を治め難いとの理由から、領地を平福に移される。
実家に戻る母に連れられて、祖父加藤嘉明の領地伊予松山に行き養われる。
慶長18年(1613年)、池田利隆の藩主相続に合わせて、播磨龍野に移る。
元和3年(1617年)、藩主光政の鳥取転封に伴い、伯耆八橋に移る。
寛永9年(1632年)、光政の岡山転封に伴い、備前周匝に移り、陣屋を構えて周匝2万2000石の領主となる。以降代々周匝を治め、明治維新を迎えた。
慶安5年(1652年)6月、藩主光政より日置忠治、池田直長と共に老中(仕置家老)を命じられ、慶安6年(1653年)4月、直長が乱心により辞任してからは忠治と2人で藩政を主導した。