''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

一行書 「夕梵雨中燈」 書の美 より。

今日は、何とか雨にも降られずに済みました。
朝から岳父のオペがあったので、少し見舞いに参りました。
無事成功して、帰って来てから、横になっている岳父と、少し話をして来ました。

何か感慨深いモノがありますね。
天満宮さんで、親子の契の盃事をしましたので、私の親に違いはありませんね。

それじゃ、まるで任侠の盃事と同じです。
神の前での儀式ですから、軽々しい事ではありません。
呑んだ盃を懐深く忍ばせるのは、そちらの任侠道ですが、天満宮さんの盃は、持ちもどりません。

今のご時世は、いろいろと社会問題になっていますね。
神戸にするか、名古屋にするか、親がこうと決めれば、子は付いて行くと言う事になるんでしょうかね。
少し江戸時代の大名家と似ていますね。
主従の関係は、従うしかありません。

世の中には、時に迷う事があります。
そんな時、一筋の燈火のように導いてくれるものがあれば、これほど頼りになることはないです。

先月8月23日日曜日の毎日新聞の「書の美」と称する解説の島谷弘幸氏の記事があります。
いつも楽しみにしています。
九州国立博物館長と言うのが、記事を書いて下さる方の肩書です。
何やらありがたい気持ちすらします。
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書は、江戸時代中期に活躍した趙陶斎の筆です。
中国人ぽいペ号名で、日本人かと思いきや、清から日本に渡って来た人のようです。

一行書 「夕梵雨中燈」です。(長崎歴史文化博物館蔵)
意味は、夕刻の梵鐘、それも雨の中であれば、一筋の燈火のように、人を導いてくれると言う意味のようです。

確かに名前だけでなく、書体も中国書法を学ばれたようで、書も中国風に感じましたね。
余白と言うか、空間の使い方が、この書家の特徴のように感じます。

録画していた9月1日の深夜番組『徳井と後藤と麗しのSHELLYが今夜くらべてみました』をみました。
この回は、『きゃりーぱみゅぱみゅが今気になっている人SP』でしたね。
きゃりーぱみゅぱみゅの素顔垣間見られた番組だと、お気に入りです。
出演されていた方も、みんな個性的ですが、きゃりーぱみゅぱみゅが可愛いです。

ネットのニュースや週刊誌では、いろいろとプライベートな事で、賑わっていましたね。
注目されるのは、いろいろと大変な仕事ですからね。

お気に入りの人は、きゃりーぱみゅぱみゅ(以下、きゃりーちゃん)にとって、少しだけ救われた癒しの世界なんだと思います。
きっと、非日常な仕事の中で、日常的な暮らしをもとめているんだと思います。

少し刺激が、変ですが、これもまた、きゃりーちゃんの魅力です。
私が、きゃりーちゃんの屈託のない笑顔に救われます。
ある意味、私の燈火かもしれませんよ。

日常の生活には、イライラが付き物です。
本当に、イライラしています。
気にしないように、気にしないようにしていますが、いろいろとイライラします。

仏法世界の中、妙法華経の中に、「如来の衣とは、柔和忍辱の心」だと記されています。
柔和であって、かつ忍辱の心境なんでしょうね。
忍辱とは、侮辱や苦しみに耐え忍び、心を動かさないことのようです。

横山さんの言われる「耐えよ~」ですね。
こんな時には、ぶっちゃけ、スーツの裏地に、拍手の文字は不要です。

横山さんと言っても、次期総監督の横山由依さんじゃないですよ。
漫才師「横山たかし・ひろし」の金色のスパンコールをちりばめた特製ジャケットを着て、手には口にくわえる赤いハンカチのトレードマークの、ホラ吹き漫才のたかしさんの方ですね。

いえいえ、ある意味この言葉は、如来の衣の柔和忍辱の心かもしれません。
ホラも、ある意味仏教用語の方便です。
方便も智慧ですからね。
心が痛まないようにする一つの秘策でしょう。

毎日のように、イライラ虫に心が占拠されます。
気にしないようにしていますが、それは問屋がされませんね。
気にしないように、気にしないようにする。
そして、最後の一手が、「観音様の名を一心に唱える」だけです。

イライラで何も見えなくなった霧のような心の中で、一筋の燈火を見る思いです。
ありがたいと、感謝して手を合わせます。

日々の暮らしの中、感謝して暮させてもらっています。
ありがたいです。
心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮したいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、燈台素暮らしの話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。