''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

朝ごはんに、フルーツのある生活 ありの実(なし) より。

今日は一日朝から雨で始まりました。
こんな日に限って、早番でしたね。
すでに、午前4時前には、家を出て、仕事場に向かいました。

こんな見通しの悪い中、無燈火で走るバイクと、危うく接触しそうになりました。
少しも悪びれることなく、「事故りたければ、一人で事故れ」と言葉が出たくらいです。

通勤途中にも、まるでカーレースのように、車線を指示機も付けずに、右や左に走行しているバカな車に出会います。
事故れって、念じそうになりますよ。
事故らないと思っているのでしょうかね。

この世は、いろんな人が居ます。
ある意味、この世は、天台の妙義、一念三千の法理の中にある十界互具(じっかいごぐ)の世界です。

十界互具とは、仏の世界から地獄世界までの十界が、それぞれが十界を具えていることで、地獄も十界を具え、仏も十界を具えており、又人間も地獄から仏界までの十界を具えていると云うことです。

因みに、三千世界の3千とは、10×10×10×3=3000になります。
十界互具(じっかいごぐ)の10×10と、十如是(じゅうにょぜ)の10と、三世間(さんせけん)の3で、三千世界と言う事ですね。

算数にしてまえば、意図も簡単なれど、その天台の妙義となれば、到底私のような凡夫には、及びも付かない深い教えです。

時に怒りにまかせて、餓鬼畜生の心にもなれば、人に優しくする菩薩の心も、人の体内に備わっています。

人は、生まれ出る体内と魂とが結合して、人としての最初が始まります。
この時、人として現世に戻る魂と、体内の数が一致するとは、限らないと思われます。
すると、時に地獄餓鬼畜生の三悪道、または阿修羅含めたの四悪道の邪悪な魂とが、結合することがあるように思えます。
また、間違って、菩薩の世界からも現世に人として、現れる魂もありるように思えます。

人道を外れた所業の犯罪が多いのは、こうした魂の存在があるように思えて仕方ないですね。
人の姿をしていても、人ではない人も多いと言う事です。

こう考えれば、いろいろな不思議な出来事も理解できる事が多いです。
最近は、特に多いですね。
功徳を積んだ輪廻すべき人の魂が、不足気味かもしれないのかもしれません。
こんな不思議なことが、有りか無しかで言えば、有りと思いますね。
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先日、オフ日の朝ごはんの嫁が用意してくれていた梨を、頂きました。
フルーツのある生活は、私の中では、優雅です。
ささやかな日常ですが、ありがたいと感謝しています。
特別な幸せでなく、日常の生活の中で、見出せるありがたい幸せです。

こんな生活も、有果か無果と言えば、有果ですが、名前は梨果です。
「なし」と言えば、ゲンの悪いので、食べ物屋では、ゲンを担いで、「ありの実」と言う事があります。

すずり箱と言わず、あたり箱です。
葦(あし)と言わず、葦(よし)ですね。
あしは、悪いの悪(あし)で、よしは、吉兆の吉(よし)です。

スルメと言わずに、アタリメですね。
♪お酒は、ぬるめの燗がいい 肴はあぶったイカでい~

八代亜紀の『舟唄 』(作詞:阿久悠 作曲:浜圭介)が聞こえてきそうです。

でもね、肴はあぶったイカでいいでなく、肴はあぶったイカがいいでしょうよ。
男性の方々、嫁に向かって、お前で(も)いいでなく、お前がいいと言わないと、家の中が、納まりませんよね。

ありか、なしかで言えば、ありでしょう。
いえいえ、ここは如何と聞くべきでしょうね。
このタコと、お叱りを受けるかもしれませんね。

今夜も晩酌タイムが楽しみです。
この時期、お酒も燗酒に変わっています。
深まりゆき秋を、しみじみと楽しみたいです。

日々の暮らしの中、感謝して暮させてもらっています。
ありがたいです。
心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮したいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、有情無情ならず非情に繋がった三千青果の話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。