''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

我が家のスィーツものがたり 梨の焼き菓子 より。

台風一過以来、少し涼やかになったような気がします。
朝夕は特に気をつけないといけません。
夏の盛りは、過ぎましたね。
まだまだ残暑はあるものの、季節が前に進みました。

気が早いながら、秋と言えば、我が家では食欲の秋です。
先日の郷里の帰省に貰って来た梨で、嫁が焼き菓子を作ってくれました。

梨の食感は残ります。
サクサクとした独特の食感です。
見た目には、カットした梨を円形に並べます。
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あっさりとしています。
これにホッイブしたクリームや生クリームを乗せると、もう少しお店の焼き菓子になりますね。
家ですから、カットして頂きました。
生クリームを加えなくても、仄かに甘くて、美味いです。

これなら、我が家の姫様も、もう少し大きくなれば、大好きになるはずです。(間違いない!! ちょっと古いかもですね)
梨と言えば、京都にいた時は、八幡市という所の梨が有名です。
八幡と言えば、エジソンの作った電球のエレメントが、この地の産の竹で有ったことや、書家の松花堂昭乗が、石清水八幡宮のある男山の東麓に泉坊という宿坊の草庵が住していた事等の話を、思い出します。

食い意地の強い私には、松華堂弁当の方が食欲をそそるかもです。
書家の松花堂昭乗が使っていた文箱に似せた弁当箱という意味合いのようです。
昭乗が、近くの百姓が種入れとして使っていた器をヒントにして、この形の器を作り使用していたとも聞きます。

要するに、後付けの話ですが、あの吉兆の創始者湯木貞一氏が、料理に使って広まったようです。
もちろん、昭和の話です。
湯木貞一氏と言えば、茶の湯にも通じる数寄者ですからね。

梨と聞けば、毎年のように、あの料理屋さんで出来事が頭を過ります。
有名な京都の料理屋さんです。
仲居さんが、従業員用のメニューを見ながら、会席の料理を出していきます。

最後の水菓子の段になって、「もうお帰りになった」と言うのです。
不思議にして、水菓子を見て、「”なし”って書いてあるから、水菓子がないモノだと思っていた」と言うのです。
確かに、従業員用のメニューボードには、「なし」と書いてありましたが、無いと思うのもどうかしていますが、なしと平仮名で書くのもどうかしています。
書くなら、「ありの実」と書くべきです。

梨は、無に通じます。
ゲンの悪い言葉です。
ですから、無でなく有の実と言い変えます。
スルメをアタリメといい、硯箱を當箱といい、葦(あし)は葦(よし)と、言い改めます。

ここのチーフ料理人も少し勉強不足ですよ。
時雨煮(しぐれに)を「ときあめに」と読んでいました。
時の雨と書いて、しぐれと読むのは、常識ですよ。

「神無月(かんなずき) 降りみ降らずみ定めなき 時雨ぞ冬の はじめなりけり 」 読み人知らず

貴方も料理人なら、すらりと、「後撰和歌集」の和歌くらい口ずさめよって、思っていました。
蕉門十哲の一人、各務支考が名付けたとも、烏丸大納言光広卿が名付けたとも言われていますが、これも後付けだと思います。
過去の記事にも書いています。

やはり、料理人なら、こうした事が日頃から興味をもっていると、頑張れば「花板」になれるような気もします。
板前は、料理人の中でも、和歌や歴史、料理の由来などよくご存知ですからね。

まぁ、耳学問の眉唾の話も多いです。
やはり、その時は、「その手は、桑名の焼き蛤」と言うべきでしょうね。

世間様では、神無月と言いますが、出雲では、神様が集まりますので、神有月と表記します。

無も有も、こんな所で繋がります。
「七重八重花は咲けども 焼き菓子の 実の一つだになきぞ悲しき」
歌道にも食道にも、暗いですよ。

これも、この時期の鉄板話です。
深夜のお笑い番組あらびき団』(TBS)では、「韓国のバックダンサー"ペ"」芸人演じるアイヒマンスタンダード風なら、携帯電話片手に、「ドンズベリセヨ~」でしょうね。
私の中では、いつも笑いの壺です。

有り無しを論ずると、いつものように、仏法世界の有か無かの空を論じるのは、止めておきます。
食うことに、専念させて下さい。
もろちん、焼き菓子の梨は、洋ナシではないですよ。(笑)

美味しかったです。
ありがとさんです。
こんなスィーツが家で食べられて、感謝感謝です。

日々の暮らしの中、感謝して暮させてもらっています。
ありがたいです。
心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮したいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、焼き菓子の鉄板の話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。