''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

大阪天満宮社からのゆうゆう1才の祝いの手紙 より。

朝からいい天気です。
明日は、少し昼から天候が悪くなると言う週間天気予報の関西ですね。

 

昨日家に帰ると、何やら大阪天満宮から封書です。
気になって開けてみると、ゆうゆう1才の祝いの手紙でした。
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お宮参りの初宮を天満宮に参拝した時に、用紙に記入したゆうゆうの生年月日から祝いの手紙を頂けたようです。
先日も、1才のご報告とお祝に参拝しました。
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手紙と共に、御撒米が同封されていました。
ごはんを炊く時に、一緒に入れて食べたいと思います。

 

祝いの手紙も、嬉しいです。
神様からの手紙と思えば、ゆうゆうにご加護を頂けています。

 

手紙と言うのは、短いモノでも気持ちが通じます。
我が家では、父へのメールをよく打ちます。
手紙的に文字は、短いですが、メインはゆうゆうの写真です。
写真付きメールは、何やら父母には格別のようです。

 

二人して、メールで送ったゆうゆうの写真をタブレットで見ています。
父には、スマホも持たせていますが、齢80歳を超えると、どうも字が読みにくいと言うので、文字や写真なども、8インチのタブレットなら、満足しているようです。

 

歴史的に短い手紙の代表格が、「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」でしょうね。
この手紙は、徳川家康の家臣であった本多作左衛門重次、渾名(あだな)「鬼作左(おにさくざ)」が、戦場から妻に送った手紙として有名です。

 

ここにあるお仙とは、幼少の嫡子・仙千代(後の初代越前丸岡(松平忠直の付家老4万石)藩主・本多成重)です。(後に、越前丸岡4万6300石の譜代大名に取り立てられています)
丸岡城のある福井県坂井市丸岡町では、「日本で1番短い手紙」のキャンペーンでも有名ですよね。
裕木奈江さんの出演されていた『日本一短い「母」への手紙』として映画にもなった記憶です。


蛇足ですから、母は、鳥居忠吉の娘ですから、忠吉の三男 元忠は、あの伏見城の戦いで武勇を馳せた蒙将です。
また、元忠の子孫には、あの赤穂事件の中心的人物の大石内蔵助良雄になりますね。
血の継承と忠義は、子供から子供に繋がれていますよ。(大石内蔵助良雄の血縁・親戚)

 

なかなか深い話です。

 

ゆうゆうも、人の親となって、人並に幸せになって貰いたいと思いますね。
今の私の気持ちも、少しは共有できるかもしれません。
ありがたいことです。

 

日々の暮らしの中、感謝して暮させてもらっています。
ありがたいです。
心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮したいです。

 

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

 

最後まで、手紙の長い話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。