''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

年明けうどんの昼ごはん より。

近年は、年越し蕎麦に対比して、年明けうどんの風潮もあります。
子供の頃のテレビCMに、「お節もいいけど、カレーもね」って言うレトルトカレーのCMの印象が強かったです。
新年早々、カレーライスは無いかと思えば、意外に子供は新年のカレーも好きみたいです。

っていうか、子供がお節を喜ぶ時代ではなかったです。
我が家でも、子供の頃は、洋風のオードブルを、お節代りにしていた事があります。
スーパーに行っても、オードブル用の食材が売っていました。
パテーやハムやチーズなど、切れって盛れば、洋風のオードブルになりましたからね。

こうしたお節も、時代の変わり目です。
今では、お節も雑煮も食べない家庭も多いです。
子供の頃のこうしたハレの日の食事は、今後の人生を大きく変えますよ。
食は文化ですからね。

食べ物を通して、子供が感じるのは、その時の記憶です。
あー、これが家族団欒と言うモノかと、家庭を持った時に感じると思います。
初詣も、大切だと思いますね。
神仏のご加護があっての暮らしです。

何かの力で生かされていると感じてこその、人の存在価値もあるように思います。
何処から来て、何処に行こうとしていのか、何となくこの年になって分かって来ました。

死後帰るのは、あの長屋です。
あちらの世界を出て来る時に、荷物はそのままにしてありますから、そのまま長屋の暮らしはすぐに出来ますよ。
バック・トゥ・ザ・フューチャー』(Back to the Future)みたいな感じです。
もしかして、この現世の修行で、あの長屋が豪邸に変わる事はないと思いますね。
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昨日正月の昼ごはんは、年明けうどんでした。
もちろん、残り物をフルに活用して、残り物感は出していません。
見えにくいですが、ヨモギの餅を焼き餅にして、乗せています。
力うどんバージョンです。

煮〆の添えた鳥肉も、入っています。
今年は、鳥年ですからね。
平成29年ですから、何処かテレビCMじゃないけれど、鳥29に因んでいます。
もちろん、お節の紅白のかまぼこも、盛っていますよ。

写真の上にモヤモヤしたモノが写っているのは、心霊現象的なものでなく、熱々のうどんの湯気が写り込んでいます。
それだけ、熱々のうどんであったと言う事です。
吉朝さんの落語「時うどん」みたいに、「引っ張りな―」って、ふざけていたらこぼれたら火傷します。

うどんのお供は、燗酒です。
こちらは、コップ酒にしました。
初詣に立ち寄って、うどん屋で食べた感じです。

京都にいた時は、歩いて行ける伏見稲荷大社によく行っていました。
お参りはしません。
渡来の神様と言えども、手は合わせなくても、尊敬の念は盛っています。

JR稲荷の駅前の大鳥居辺りは、道幅が狭くなって屋台の数も限定されています。
もちろん、腰を降ろして食べるスペースは無くなっています。
あの右手の焼きそば屋の辺りが、私の毎年の定位置でした。

奥の本殿前の鳥居辺りにあったのが、おでん屋です。
ここで、熱燗とおでんを食べる事が多かったです。
時に、ここでうどんもよく頂きました。
その時に、燗酒を頼むのが毎年の習慣でしたね。

正直、美味いと感じる事は無かったですが、毎年の大きな病気にも怪我にもならずに、過ごせたゲン担ぎです。
ドアツードアで、2時間もあれば、用が済みましたからね。

正月三ヶ日は、辞めた方がいいです。
参拝者の数が多くて、参拝どころではありません。
ただ、裏道が有りますから、どうしても言うなら、並ぶことなく社殿近くに行けるんですよ。

あの有名な千本鳥居のには、並ぶことなく、裏道から入れます。
頂上近くの四つ辻にも、裏道が有りますから、並ぶことなく、三つ辻辺りまでは行けますね。

大阪にやって来て、そうした楽しみもありませんから、何だか寂しく京都の番組の録画を見て楽しんですよ。

年明けうどんの朱塗りの朱色を見れば、伏見稲荷大社を思いだいますね。
近くで有名な神社と言えば、地下鉄と近鉄電車で行ける石切さんでしょうかね。
結婚前に、1度嫁と参拝した事があります。
坂道が多いですから、ベビーカーを押しては、無理です。
今年は喪中ですから、基本初詣も控えています。

もちろん、親子3人で行くなら、ご縁を頂いている大阪天満宮です。
少し時間がかかるのと、参拝者の数が多すぎますね。

気分だけ、年明けうどんを食べながら、熱燗を呑んで、参拝気分を味わいましょう。
乳吞み児のゆうゆうを連れての参拝は、危険がいっぱいです。
もう少し正月気分を味わいます。
ありがとさんです。

日々の暮らしの中、感謝して暮させてもらっています。
ありがたいです。
心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮したいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、長い話にうどんのように伸びた話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。